あの島に移り住むまで

〜「好きな本から」を書きたくてはじめたけどいろいろ書いちゃってるブログです〜

「手土産ないとままが怒るから」

 

 


 

朝が来る (文春文庫)

ふいに、ある記憶が心に引っかかった。

ひかりの母が、まだひかりが子どもだった頃、手土産を持ってこないお客さんのことを「常識がない」と、彼らが帰った後で、怒っていたことを。

長く居座って話をしようという時には、普通、持ってくるものだ、とあの日、母はいつまでも機嫌が悪かった。「常識がない」というあの言葉の言い方を、ひかりは今でもよく覚えている。

 


  

「手土産」と読んで思い出す記憶がある。

 

高校生の頃、歌って踊るユニットを組んで活動してた私は、よくあるメンバーのお家に泊まらせてもらった。会場からその子の家が近いという理由と、少しでも練習しようという理由で。「泊まりにおいで」と、イベントの度お世話になった。

 

いつだったか、その子(名前は“いた”)がこういった。

  

「手土産ないとままが怒るから」

 

よく覚えている。私にとってそれはとても衝撃的だったから。

 

「手土産がないとままが怒るから」

 

そう言って、ミスドに入り、本人自らトレーを取って「一人何個分??」と思うほどの量のドーナッツを乗せっていった。別によかった。そのこと自体は。みんな大好きミスドでたくさん買ったと言ったっってお手頃だったし、みんなで割ればまたさらに優しかった。ただ、その言動と行動の勢いが、その頃の私にはとても衝撃すぎて印象的だった。その日の大半をその衝撃で頭を占領されてたような気がする。

 

そんな日の夜、あるメンバー(名前は“なふ”)が言った。

  

「いたが食べたかっただけやろ」

 

3個目のドーナッツを頬張りながら言った。あんなに買ったんやしいいやろ、と言ってむしゃむしゃ食べる姿が思い出される。めっちゃ細いくせによく食べた。

 

全てが衝撃だった。

 

「手土産ないとままが怒る」と言ったいたのその言葉も。

その言葉とともに浮かんできたあの笑顔のいたままの姿も。

めちゃくちゃスタイルがいいくせに、夜中に3個もドーナッツを食べるなふも。

なふが冷静にいう「いたが食べたかっただけやろ」という視点も。

 

全て。

 

全て、衝撃でしかなかった。

 

確かにそうだったような気もする。今思えば、いたままの言葉というより、いたの言葉だったような気がする。あの子が食べたかっただけ。好きなのを。好きなように。

 

もしそうだったとしたら、いたままは少し損をしている気がする。いや、誰も得していない。だって、手土産はいつも持っていってた。もちろん。頻繁にお邪魔してたのだから。誰かが持っていっていたはずだし、みんな持っていってたはずだ。それでも「手土産がないとままが怒る」といた言った。誰も「得」しない言葉。

 

本当は毎回泊まりに来ることをよく思われてなかったのかもしれないなと思う。そりゃそうだ。ご飯を用意して、布団を用意して、お客様がくるって面倒だもの。本当は小言を言われてたのかもしれない。いたが。ままとぱぱから。だから、咄嗟に言ったのかもしれない。「いつもすみません」と、手土産くらいは持ってくる子たちで私たちがあるために。

 

いまだに思い出す。メンバーのだれかのことを思い出すたび。メンバーの誰かに会うたび。

 

「手土産ないとままが怒る」

  

あの言葉の真実がどの考察なのかはいまだにわからないけれど、そのおかげで「手土産」というものが思ってる以上に重要だってことがよくわかった。確かに、家に遊びに来てもらうときに一緒に食べられる手土産があれば嬉しいのかもしれない。「ありがとう」って気分よく迎え入れられるのかもしれない。呼ばれることも、呼ぶことも、もうほとんどないからよくわからないけれど、そんな気がする。

 

もし今度、誰かのお家にお呼ばれすることがあったら、喜ばれる手土産を持っていけたらいいなと思う。でも、出来れば行かせてもらうより来て欲しいかな(笑)お土産で見定められてるって考えるとゾッとするし。

 

やっぱりで会うが一番!!

そうすれば、ここで気になってることのほとんどは吹き飛ばされるわけだし、外なら解散もしやすいし。そうもいかない人もたくさんいるのだろうけれど、幸い私はそれで大丈夫な人生なので。

  

お家に遊びに行くより、お家にに遊びに来てもらうより、外で待ち合わせがいい。

 

それでいい。

 

今のところは。