あの島に移り住むまで

〜「好きな本から」を書きたくてはじめたけどいろいろ書いちゃってるブログです〜

毎日は何度でも夜になる

すべて真夜中の恋人たち (講談社文庫)

 

最近、『すべて真夜中の恋人たち (講談社文庫)』という本を読みました。この本を読み進めるなかで、何度か出てくる“ある言葉”に、ため息をつく。その言葉とは、、、

 

 

夜があけて、朝がやってきて、すみずみまで行きとどいている空の青さをみながら、目には映らないけれど、三束さんに教えてもらったそこにあるはずの無数の光のことを思い仕事をし、そうしているうちに薄暮がおとずれ、毎日は何度でも夜になった。

 

 

この文章の中にある『毎日は何度でも夜になった』でした。これ以降にも、何度か出てくるのだけど、その度に「はあ。」とため息がでる。はじめて聞いた言葉だった。冷たくて気持ちいい言葉。熱い夏の日に冷たい床に寝転んだときのあのなんとも言えない気持ちよさと似た感覚を、この言葉から感じる。

 

この世は本当に、よく考えてみても毎日は何度でも夜になる。頼みもしないのに、朝が来て昼が過ぎて夜になる。何度も何度も夜になってくれる。毎日、毎日だ。

 

私は最近思うんです。毎日何度も夜になるくらいなら、毎日ずっと夜ならばいいのにと。夜を好きにだからだろうか。何度でも夜になるより、ずっと夜であったらいいのにと思う。朝を迎えなくてすむのならそうがいいという思いがある。

 

朝を迎えられることはとても幸せなことのはずなのに、朝を迎えるたび、「ああ、なぜ“こんな”なのに生きているのかな」と思う時間が必ずある。情けない。だからといってなにができるというわけでもないのに。毎日のように思う、それがまた苦しい。

 

私は一体何をしているのだろうか。

 

朝がくるたび考える。夜ならばもう終わったのだから考えなくてすむことが、朝ならば考えなくてはいけなくなるから、朝が苦手になった。毎日考えるわりに、毎日何もできないのに、懲りず考えます。考えても考えても結局は何もできないので、それを埋めるように本を読んでみたり、文字を書いてみたりする。それでも、落ち着かないときは、歩きにいったり、食べてみたり、テレビをつけてみたり、消してみたり、音楽をかけてみたり、消してみたり、布団の中に入ってみたり、ゲームをしてみたりする。

 

「なぜ生きているのか」

「なぜ生まれてきたのか」

 

そんなことを朝になるたび考える。

できることは決まっているのに、毎日毎日考える。

 

何度もいうけれどできることは決まっている。終えることも始めることもできない、だからただやってきたことをもっとやるだけ。それだけだ。結局出す答えは同じなのに考えてしまう。だけど最近ようやく、毎朝の揺ぎに対処できるようになってきた。“できることをするだけ”と早く諦めてしまう方法。それが賢いのだと切り替えられるようになってきた。

 

毎日その繰り返し。馬鹿みたいに。朝に揺らいで、昼に諦めて、夜が近づいて落ち着いて、そうやって夜になる。振り返るそれは、『毎日は何度でも夜になった。』だと私は思う。

 

どんな1日も毎日は何度でも夜になる、どんな人生も毎日は何度でも夜になる。

 

そう考えることは、毎日の不安を少しずつひんやりとさせていく。温度を下げてひんやりとし気持ちよくひっつくから、私はこの言葉が大好きだ。

 

『毎日は何度でも夜になった』

 

サプリみたいだなあと思う。

 

こういうことがあるから本を読むことはやめられない。

 

冷たくて、気持ちのいい言葉。

何度も何度も心の中で呟く最近見つけた言葉。

何度も好きに思う『すべて真夜中の恋人たち』からの見つけたこの言葉。

 

「毎日は何度でも夜になる」