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「親友」という言葉の抵抗

 

 

ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。 (講談社文庫)

 

「友達だから?」

果歩の声がするっと耳に入ってくる。容易い響き。彼女のようにまっすぐな子は、きっと口にすることに抵抗がない。自分の口元に笑みが浮かぶのを感じた。さまざまな感情が入り混じって、素直な微笑みは形作れなかった。

 

 

母親を殺害さした容疑をかけられている「チエミ」。行方不明の「チエミ」。そんな「チエミ」を探す、幼馴染の、友達の、親友の「みずほ」。そんな「みずほ」の言葉。何があったのか、何でこうなったのか、一体チエミはどこにいるのか。それを知るために同級生に会っていく中で、「果歩」から言われる。なんで?前までならそんなこと(探したり)しなかったでしょ?って。友達だから?って。

 


 

「友達」

 

その言葉に抵抗があった。

 

「親友」

 

なんてもっとそうだった。

みずほと私は似ているのかもしれない。

 

思い出すのは、中学生の頃。なんてことない顔で私のことを「親友」と言ってくれた友達がいた。本当にさらりと、なんてことない顔で、恥ずかしげもなく、迷いなく、言う。その姿を、「なんてかっこいいのだろう」と思った。「親友」という言葉を与えられたことへの感動と、本人を目の前にして「親友」と呼べる強さにとても感動した。今もはっきり思い出せる。とても衝撃的だった。

 

あまりにも真っ直ぐすぎて眩しい。言いたくても言えない言葉。文字にして書くことも、言葉にして伝えることも、難しい。もしかしたら人生で一度もないかもしれない。「仲がいい子」「友達」「大好きな人」「代わりのいない人」「特別」、そうは言えても「親友」は言えなかった。それでも世界には、その言葉を容易く言ってのける人がいる。眩しいなと思い、かわいいなと思う。躊躇しない純粋さ、真っ直ぐさ、軽やかさ。男の子がいう「親友」も、女の子がいう「親友」も、すごくかわいい。すごくすごくかわいい。そう思う。

 


 

 理解できる。

 

果歩の声がするっと耳に入ってくる。容易い響き。彼女のようにまっすぐな子は、きっと口にすることに抵抗がない。自分の口元に笑みが浮かぶのを感じた。さまざまな感情が入り混じって、素直な微笑みは形作れなかった。

 

みずほの考える“それ”が。

自分が使えない言葉をさらっと使う人を目の前にして同じように思うから。

 

「友達だから?」 

   

そう、当たり前のように、軽々と、言ってのける人がいることを、理解する・実感するシーンに出くわすたび、思ってきたから。「この子は真っ直ぐだから言えるんだ」って、「なんて純粋なんだろう」って、「なんて自信に溢れてるんだろう」って。 

 

「友達」だけど「友達」じゃなかったらどうしようとか。

「親友」って何だろう、どこからが「親友」なんだろう、とか。 

 

考えてしまう私とは大違いだなって。

中学生の頃にはもうそういうことを考えるようになっていたから、そんな自分が嫌だった。周りと同じように自然と言えない自分が本当に嫌だった。純粋さがかけているような気がして。綺麗ではないように思えて。だから一つ距離を取ってみる。一つ線を引く。「まっすぐだから言えるのだ」と眺めてみる。

 

そうやって落ち着かせてきた。いつもそうだった。ずっとそう。変われなかったし、変わらなかった。

 

だけど、今はこう思ったりする。

「そういう人が少しくらいいてもいいかな」って。

 

言葉の捉え方が少し慎重なだけ。自分に少し慎重なだけ。心に少し慎重なだけだから。

 

みずほの姿を読んだとき、改めて思った。

 

もしかしたら大勢いたのかもしれない。眩しくて羨ましくて、「親友」だとか「友達」だとかをはっきり言える人たちばかり目にうつしていたけれど。大勢いたのかもしれない。私と似た感覚でいた人も当時から。こうして文章になってるってことはそうなのかもしれない。

 

そう考えながら読んだ。

 

今も昔もなかなか使えない言葉を

今も昔も軽々使ってみせる人がいる

私にとって容易くない言葉を

容易く聞こえるくらい自然に言う人がいる

 

「友達」という「親友」という言葉のこと