あの島に移り住むまで

〜「好きな本から」を書きたくてはじめたけどいろいろ書いちゃってるブログです〜

手にはそれぞれ込められた理由がある

 

こんばんは、なつです。

 

 

私は、考えることがあります。 

「私はなぜこの感性を持って生まれてきたのだろうか?」ということをです。

「なんて自意識の高いやつなんだ!」と思われる方もいるかもしれないけれど、本当に、本気で何度も何度も考えてきました。

 

センチメンタルになりやすいこの心を持って生まれてきた理由はなんだろう?

どうしてこんなに感情が荒波のように揺れるのだろう?

 

何度も何度もです。

 

どうでもいいことに傷ついて、人よりどうでもいいことに悲しんで、人より泣きやすくて、人より考えすぎてしまうこの自分で生まれた理由。この感情、この感性を持って生まれてきた理由。

 

一体何だろう?

なぜ持ってきてしまったのだろう?

 

  

そう考える私の心をくすぶってくる言葉を最近、ある本から見つけた。

 

 

 
この恋は世界でいちばん美しい雨 

 

「昔ね、お母さんに教えてもらったことがあるの。人にはそれぞれ手が付いている理由があるって。手ってね、ものに触ったり持ったりする以外にも、その人のやるべきことが込められているんだって。それでお母さんに言われたの。日菜の手はなんのために付いてるんだろうねって。その理由が見つかるといいねって」

 

 

この本を読んで、改めて考えた。

持っているものには持っている理由がある。

持って生まれたものには持って生まれた理由がある。

 

「手が付いている理由」が私にも、あなたにもあって、振り回されている私自身のこの「感情の起伏」も、持って生まれた理由がある。

 

人より明るい性格を持っている理由、人より怒りの感情を多く持って生まれた理由、読むのが得意な理由、読むのは苦手だけど聞くのは得意な理由、料理が好きな理由、この体を持っている理由、、、

 

自分の好きなところにも、自分の嫌いなところにも、

苦しめられる自分にも、当たり前にできてしまう自分にも、

 

そうして持っている理由があるということ。

 

そこには、私がすべきこと、私だからできること、そのヒントがある。

私のすべきこと、私もできること、そのヒントがある。

 

「私のこれの意味は何?」と問うことで、

「私のこれは何ができる?」と問いかけることで、入り口が見えてくる。

 

 

私のこの心(感情)は何のために持っているのか?

それは、こうして書くためかもしれないし、痛みを知っておくためかもしれない。

 

私の手は何のために付いているのか?

こうして言葉を打つためなのかもしれないし、紙をめくって読むためかもしれない。手をたたいて大きく笑うためかもしれないし、全くちがう理由かもしれない。

 

今すぐにはわからない。

もしかしたら、わからないまま人生が終わってしまうかもしれない。

 

だけど、全て意味を持って理由を持って「ある」ということだけは確かだから、誰にとっても確かだから、思い出すためにまず「理由がある」ということを理解することから。

 

見つけようとすることからはじめていこう。

考えることだけは続けていこう。

 

 

見つけられるように。