あの島に移り住むまで

〜「好きな本から」を書きたくてはじめたけどいろいろ書いちゃってるブログです〜

ダサいけど可愛い。

 

 

蛇行する月 (双葉文庫)

これが順子の言う「しあわせ」と思ったら、全身から力が抜けた。自分よりずっと恵まれた暮らしをしていたら、というおそれは消えた。順子の「しあわせ」は自分の求めるものとはまったく違うかたちをしていた。

 


 

この文章を読むとき、思い浮かべる人がいる。

音楽を始めて出会って、仲間ではないライバル以上で、周りがいう「仲がいい」とは何かちがったけれど確かに特別で、不思議な関係だった。彼女は私を「友達」ではないといい、「親友」と呼んだ。当たり前に在る者、不思議な関係。

 

引用したのは『蛇行する月 (双葉文庫)』という本から。

高校を卒業して「東京に逃げることにしたの」と駆け落ちをしていった順子。随分と年上の、奥さんがいる男と。きっと幸せに暮らしているのだろうと“警戒”しながら会いにいった清美は、自分のことはそっちのけで、貧乏で、一見幸せそうには見えない生活をしている順子と会う事になる。思っていたのと違う姿をしてる順子。それでも本人は、心から幸せそうに「しあわせ」と語っている。清美は思う。ああ、自分と順子の「しあわせ」の形は全くちがうものだったのだと。「しあわせ」のカタチは人それぞれちがうのだと。

 

いちいち順子を比べるのはもうやめたい。やめたいのに、やめられない。

 

清美は、久しぶりにあった順子と会話しながらいろんなことを比べている。暮らし以外にも。どちらがマシか、どちらが幸福か。高校の頃からそうだ。清美は順子と比べてばかりだった。

 


 

私にとって彼女は、「順子」のような存在だったなあと思う。そして私は清美だった。

気づいた時には、心の中で彼女と私を比べて自分を点数づけるようになってた。どちらが幸せで、どちらが努力していて、どちらが素敵か。私と彼女は同じじゃないってわかってたのに。彼女と私は同じじゃなくてもいいってわかっていたのに。

 

自己肯定感が高くて誰からも一目置かれるような彼女を横にして釣り合うことに必死だった。見た目、技術、センス、暮らし、生き方、価値観。センスがいい彼女と「同じ感覚」でなければいけないような気がしてた。

 

気づけばこうなってた私。

最初はただ、個人としてみて、高め合って、気の合う友達だったのに。彼女が上手くいっている姿に焦って、上手くいかない姿に安心して。 平等に釣り合うために頑張ったふりをして、落ち込んだふりをして。

  

比べるのはもうやめたい。

やめたいのにやめられない。

 

そう気づいて「距離を取る」ことを選んだ。

 

私“だけ”が比べて苦しんでいる。

それがまた悔しくて。

  

「距離を取る」を選んだ。

一緒にいることが苦しいのなら、と。

「私」が「私」で、在るために、と。

 

今どうしてるかは知らない。1年前、彼女は音楽を続けるか続けないか、結婚するかしないかを悩んでる途中だったし、私は全てを捨てるか、捨てないかを悩んでる途中だった。私は「何もなくなるまで」を選んだので、断捨離をして、SNSをゼロにして、会わない選択を100%にして、連絡先も予定も最低限にした。その結果、ブログのトップに書いた通り「なにもない人」になった。彼女はどの選択を取ったのかわからないし知らないけど、うまく元気に過ごしてるはずだって思う。賢い人だから。たまたま今月誕生日。おめでとう。

 


 

綺麗な感情ではないのだろうなと思う。

引用した文章に「共感」してしまえることも。勝手に比べてごちゃごちゃ思うことも。比べて得られる満足なんて、何にも意味がないことはわかってるつもりだから。どちらかといえば醜い感情なのかもしれない。

 

いちいち順子を比べるのはもうやめたい。やめたいのに、やめられない。

 

これが順子の言う「しあわせ」と思ったら、全身から力が抜けた。自分よりずっと恵まれた暮らしをしていたら、というおそれは消えた。

 

同じようにして私は肩を何度も下ろしてきた。

こんな感情、本当は隠しておくべき感情。見せてはいけない感情。書く必要も、書いていいこともない感情。

 

ダサくて恥ずかしいこの感情。

かわいそうで恥ずかしいあの頃の自信のない私。弱み。

 

だけど、あれは嘘じゃなかった。本物で私のものだった。

 

“そういう人”もいる。

 

どうしても比べてしまう人

どうしても比べてしまう自分に疲れている人

 

それでもいいのだと思う。

 

「しあわせ」は人それぞれにあるんだから。

 

『』を読んで、私はそう思った。

 

本を読むってそういう機会がよくよくある。

 

だから好き。だから本が好き。

 

自分を、自分みたいな人を見つけられることがあるから。そうしたら、「それでいいんだよ」って「それでよかったんだよ」って、過去の自分を許してあげることができるから。生きてる世界だけの視野から抜け出して、大きな世界の目で、慰めて、肯定して、応援していくことできるから。

 

彼女の隣にいた必死だった私もよかったのだと思う。

 

ダサいけど可愛いし。

ダサいけど可愛いし。