あの島に移り住むまで

〜「好きな本から」を書きたくてはじめたけどいろいろ書いちゃってるブログです〜

恋は盲目「私のほうが幸せにしてあげられる」

 

「何でそんなん言いきれんねん」

 

そう言われたことがある。

 

今思えば全くその通りだったなと思う。彼女がいる人を好きになった。好きになってから耳にした事実だったけど、そんなことは正直どうでもよかった。“付き合ってるだけ”なら関係ない。私のほうが幸せにしてあげられる。本気でそう思ってた。だから本気で言った。

 

私のほうが幸せにしてあげられる。だから付き合って」

 

そんな私に彼は言った。

 

「何でそんなん言いきれんねん」

 

私にもよく分からない。あの頃の私を私自身もよく理解できない。なぜあんなにも自信があったのか。なぜ会ったこともない彼女と比べて“私のほうが”とあんなに堂々と言いきれたのか。今じゃその言葉の一文字も言えないのに。あの頃は真っ直ぐ目を見てはっきり言えた。自信だけがあった。私が彼を想うこの「好き」に勝てる人なんているはずがない。

 

自分で書いていて笑ってしまうのだけど、本気だった。本気でそう思ってた。

 

なぜ今になってそんなことを書いているのか、、、 

その理由は、最近読んだ『恋するために生まれた』という本にある。その中にその頃の自分を思い出すような文章があった。江國香織さん辻仁成さんが「愛について」を交互に綴っているエッセイ。江國さんのターンで紡がれた文章。

 

 

恋するために生まれた

私にかなう相手はいない、と言って欲しい?ふふふ、辻さんやさしい。言いきるに決まってるじゃないですか。そうじゃなくっちゃ、恋の意味がないもの。他に何人女がいようと、私にかなう相手はいないって、信じられなかったら恋じゃない。

 

私もそうだった。

他にどんな彼女がいたって、他にどれだけ彼女がいたって、その誰よりも私が一番だよって信じてたし、私を選んでおけば絶対幸せだよって信じてた。特別自信があるわけじゃないくせに、私みたいな女はどこにもいないよって本気で信じることができた。だから、「あなたを幸せにしてあげる」だなんて言えた。「好き」って感情はそれくらい人を麻痺させる。

 

そして、それをこの本からいうと「恋」というらしい。

 

「他に何人女がいようと、私にかなう相手はいないって、信じられなかったら恋じゃない」

  

そうじゃないと「恋じゃない」くらい。

 

だったらあれは間違いなく「恋」だった。当時の私は「愛」だって思ってたけど。だってあんなに好きだったんだから。彼がいれば、彼が手に入りさえすれば、あとのことはどうでもよかったのだから。これ以上に人を好きになれるなんてありえないでしょ!ってくらい好きだったんだから。

 

当時の私を切り取って、言葉をふり分けてあげるなら、この言葉がぴったりだと思った。

 

「私のほうが幸せにしてあげられる!」だなんて今はもう言えない。「夢中」から抜け出たあとの「冷静」を知ってしまっては、もう言えないし思えない。言いきれないし思いきれない。だけど、それくらいの「恋」が少し前には私にもあったこと。もう言えない・言いきれない言葉を言えた自分も少し前にあったこと。を、思い出した。

  

私のあの頃も本当で、あの頃の彼の言葉も本当だった。

 

恋するために生まれた
 

 

この本にある「愛」と「恋」について。

 

すごくよかった。

 

辻仁成ワールドをまた少し好きになって、江國香織ワールドをやっぱり好きだと実感した。

 

すごくよかった。