私の世界のうちとそと

〜「好きな本から」を書きたくてはじめたけどいろいろ書いちゃってるブログです〜

生きてることが辛いなら

 

『生きていることが辛いのなら』という曲を、1週間に1度は聴く。

 


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森山直太朗さんの『生きてることが辛いなら』。いつかの歌謡祭で聴いたのがきっかけだったと思う。頭の中で歌詞をなぞりながら、「ああ」と思った。少し前まで似たことを考えてた自分のことを思い出した。

 

「分かる」

 

そう言ってしまう事は間違っているのかもしれない。だって、私はいまこうして生きていて、こうして楽しく生きているから。この曲を理解できるとか、この曲に共感できるだとかって、もしかしたら言っていいものではないのかもしれない。恥ずかしくて、痛い事なのかもしれない。今こうして幸せなら、乗り越えたなら、辛かったことを振り返るようにして聴くだなんて、ただ悲劇のヒロインぶっているだけのことなのかもしれない。不幸自慢になるのかもしれない。自分に酔っているだけなのかもしれない。

 

それでも、私は思う。もしあのとき、この曲をしっていたならって。もう少し早くぬけだせたのではないか、もう少し早く楽になれたのでないか。だからやっぱり、この曲のことはちょっとだけでも書いておきたい。

 

この曲の冒頭、

 

生きてることが辛いなら

いっそ小さく死ねばいい

恋人と親は悲しむが

3日と経てば元通り

 

が好きだ。私も同じことを思った。同じことを思ってこちら側にいる。

 

いっそ消えてしまいたい

 

そう考えながら電車が通り過ぎていくのを待つようになっていたとき、ある人が言った。「いろんな人に支えられてお金がなくても借金があっても楽しくどうにか生きていけてるけど、ついこないだ、この窓から飛び降りることばっかり考えてた」「それでもできんかった。こんなところから飛び降りたって死ねるかわからん。もし死んだとして、誰かが見つけてくれて救急車が来て。見せ物になる。誰かは一瞬、悲しんでくれるかもしれん。それでも自分の死んだ姿を眺めながら、親が泣いてるところみて、それで終わりって、それで満足なんか。『(死ぬって)こんなもんか』って思うんじゃないかって思ったんよ」。そう考えたらできなかった、と。去ることを選んで、離れた魂で、残された自分を眺めて、それで納得できるのか。それで楽になれるのか。私の考えてる“逃げたさ”ってそういうものなのか。

 

ちがうのではないか。

 

「ちがう」

 

そう思った時、やめようと思った。自分が楽になることを選ぶのを。自分を捨てて楽になろうとすることを。

 

 

夜に鳴くのは赤ん坊だけって決まりはないんだし

 

本当にそうだと思う。この世界の「こういうものだ」と思い込んでいるものごとのほとんどがそういうものだと思う。女が泣いたって男が泣いたって子供が泣いたって大人が泣いたっていい。一人で泣いたって、所構わず泣いたって、最終別にいい。狭く狭くしているのは、狭く狭くみているのは、私たち自身。

 

捨ててしまえばいい。捨てることを考えればいい。

 

この曲だって言ってる。

 

歴史は小さなブランコで

宇宙は小さな水飲み場

 

私の人生は歴史中の小さな小さなもので、私の人生は一瞬の小さな水飲み場のようなもの。

 

全部失敗でもいい。

全部バカみたいでもいい。

恥ずかしくても、恥ずかしくなくてもいい。

 

とっても素敵な曲だなあと思う。

 

視野が狭くなってきた時、救われる。

視野が狭くなってきた時、思い出させてくれる。

 

生きてることが辛いなら

くたばる喜びとっておけ

生きてることが辛いなら

 

くたばる喜びはとっておこう。

生きることが辛いと思えても。