あの島に移り住むまで

〜「好きな本から」を書きたくてはじめたけどいろいろ書いちゃってるブログです〜

野良猫とエサとおばあちゃん

 

駅で見る帽子おばあちゃんはきっとこれだ。

 

ヤモリ、カエル、シジミチョウ (朝日文庫)

 

最近の猫は贅沢で、野良のくせに匂いだけ嗅いで顔をそむけるのもいたりすることを、倫子は知っている。けれどがつがつたべる痩せ猫もいることはいて、こういう猫たちのために、倫子は餌をだしておいてやるのだった。それを快く思わない人が近所のどこかにいるらしく、野良猫に餌をやらないで下さい、と書かれた紙が、ときどき郵便受けに入っている。冗談じゃない、と倫子は思う。他人に指図されるいわれなんかあるもんか。

 

 

最寄りの駅には「猫に餌をあげないでください」というチラシが貼られている。そこにくれば「ご飯が食べられる!」と知っている野良猫ちゃんたちが10分ごとに動く電車の近くで暮らしている。ということは、“飛び出す可能性がある”ということだ。事故が増えてしまった。チラシが貼られている意味はそれだけではないだろうけれど、事故があるという場合に考えなければいけない。生かすために与えても、死なせてしまっては、どうしようもない。

 

野良猫たちに餌を与える。

 

いいことか、よくないことか、考えてみる。考えてみても難しい。例えば、自分の敷地内で与えるのと、国の敷地内で与えるのと、誰かの敷地内で与えるのとでは、ちがってくる。困る人がいる。そうならば、いいこととはいえない。だけど、与えなければ、食べるものがなく痩せ細った猫がお腹を空かせたままになる。与えてあげられる人がいるのに。それだっていいこととはいえない。

 

どれほど「餌を与えないで下さい!」とチラシを貼っても、なくならないのは、本にある通りの心がそうさせるのかもしれない、と思う。

 

「冗談じゃない」

「指図されてたまるか!」

 

と、思う心からなのかもしれない。 たまに見かけるあの帽子おばあちゃんもそうなのだろうか。周りをキョロキョロ見回した後、自動販売機の裏に入り込む、深く帽子を被ったあのおばさんも、そう思う心からなのだろうか。隠れるようにひっそり陰に入っていくのに、どうみても餌を与えている、あのおばあちゃんは。

 

むずかしい。

 

「正しさ」では答えが出ない問題

 

もう少し考えた行動であれば、問題ではなくなるかもしれない問題。 

 

ちなみに、私の父は大の猫嫌いだ。野良猫に餌を与える人のことも嫌がる。理由は昔、ガレージに勝手に置かれた段ボールの中に子猫が数匹入れられていた事件があったから。そして、そのガレージで野良猫たちがよくトイレをしていたからだった。ご近所さんが餌だけ与えていたのだ。今は、昔ほど野良猫自体減ったように思うし、10年前にその家からは引っ越したので、問題はないけれど、そういうことがあって苦手になり、猫も餌を与える人間も嫌っている。

 

猫だって生き物だ。命がある。それも理解する。

 

だけど、困る人がいる。

 

それも、ちゃんと理解したい。

 

むずかしい。

 

むずかしい問題だと思う。

 

ただ少し、駅の近くで見かけるあの帽子おばあちゃんのことを思い出す文章だった。あの帽子おばあちゃんを、そして、よく見るチラシを、その両方を、少しだけ、腑に落とす文章。

 

ヤモリ、カエル、シジミチョウ (朝日文庫)から。 

 

「こういうことかもしれない」

 

そう思った。そんな話。