あの島に移り住むまで

〜「好きな本から」を書きたくてはじめたけどいろいろ書いちゃってるブログです〜

選んだ「烙印」を刻み込んで生きていく

 

超訳 人間失格 人はどう生きればいいのか

超訳 人間失格 人はどう生きればいいのか

  • 作者:齋藤 孝
  • 発売日: 2020/11/21
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 この本『超訳 人間失格 人はどう生きればいいのか』の中で烙印という言葉が出てくる。

 

主人公“葉蔵”の中学の級友である竹一が、葉蔵にむかって「お前は、きっと、女に惚れられるよ」と、そして「お前は、偉い絵画きになる」と言ったシーンで。葉蔵はそれを、馬鹿の竹一によって予言された額に刻印させられたと言っている。

 

その「額に刻印させられた」という言葉を理解しやすいように「このとき自分の額にまた一つ烙印のようにその言葉が刻み込まれたのだ」と書いている部分にあのが、「烙印」と言う言葉。

 

 

私はこの、

 

このとき自分の額にまた一つ烙印のようにその言葉が刻み込まれたのだ

 

という文章がとても好きです。

そして、その言葉が書かれた絵が、その言葉と映る葉蔵の姿が、まるで自分を見ているみたいだと思えて、とても好き。私も誰かいつかの言葉が「烙印」のように刻み込まれていく感覚を知っている。そして、誰かのいつかの言葉が刻印されて生きている“自分”も知っている。だからなのか、共鳴する。

 

例えば、数年前、私はお世話になっていたダンスの先生から、

「なつちゃんは、真面目すぎて心配だよ」と、そして

「まるちゃん(友人)は何となく楽に生きていけそうだけどね」と言われたことがあった。

 

その時、まさに「烙印」を刻まれたような気分だった。

 

話の流れから察するに言えば、“真面目すぎる”という“真面目すぎて面白くない”という烙印だった。

 

でも思う。言葉はただのきっかけで、「真面目」をいい意味で刻印するのか、よくない意味で刻印するのかという選択肢は残っている。反対に「真面目と言われたけど真面目ではない」と刻印するのかという選択肢も残っている。

 

結局、刻むのは無意識的にか意識的にか自分だということ、自分で「刻印」しているのだってことだ。

 

だとしたら、自分にとって都合のいい言葉だけを刻み込むようにしていければいいのではないかって思う。そうできれば、もっともっとよりよくなるのではないかって。

 

「烙印」のその言葉のように人はそうなっていくはずなのだから。

 

 

そんなことを考えた。

超訳 人間失格 人はどう生きればいいのか』という本から。