あの島に移り住むまで

〜「好きな本から」を書きたくてはじめたけどいろいろ書いちゃってるブログです〜

「不健康よ」と同じ匂いのする「やばい」

 
 
左岸

兄の死後、茉莉はしばらく兄の部屋で寝ていたが、それはやがて両親に禁止された。「不健康よ」喜代は言ったが、なぜ健康がいいのか、茉莉には理解できなかった。

 

主人公“茉莉”の母、喜代が言う

 

「不健康よ」 

 

似た匂いのする言葉を私の母もよく吐いた。この言葉に似た温度の言葉を私はよく聞いた。つめたい温度の、「非常識だ」「おかしい」と引き離そうとしている力が込められた、「やばい」という言葉。

 

私は、超がつくブラコンで、超がつくシスコン。世界で何より二人が大事で大好き。

 

そんな私に母はよく「やばい」と言った。

 

19歳の弟にハグをする、手や腕をにぎにぎする、引っ付いて歩く。23歳の妹に、ハグをする、手をつなぐ、出かけたいときには連れていく。確かに“おかしい”かもしれない。けれど、可愛くて、可愛くて、大事すぎて仕方ないのだから、どうしようもない。

 

大丈夫。妹・弟離れできてないのは“お姉ちゃん”だけだから。

 

妹と弟は簡単に姉離れしているから。

 

何も心配はいらない。

 

「不健康よ」と同じ匂いや温度を持った「やばい」も意味はない。そんな言葉で、変わることはなかったし、これから「不健康」になる心配もない。こうした感情は、持ったにしか理解できにくいことだろうと思う。そう思うように、諦めることを覚えた。

 

私の妹、という感情。私の弟、という感情。どうしようもない感情。ただただ、妹と弟が好きなだけ。

 

茉莉が喜代の「何が健康で、何が不健康なのか」を理解できないように、私にも理解できにくい。茉莉が「なぜ健康がいいのか」と喜代を理解できなかったように、私も理解できなかった。その理解されなさ、と、理解できなさ、を、茉莉の言葉が肯定してくれたように思った。

 

茉莉は聡明なお兄ちゃんが好きだった。ラブじゃない。ラブじゃないけどライクともちがう。お兄ちゃんが好きだった。私には、それがよく理解できる。

 

きっと、「そうである人」にしか理解できないことなのだろう。兄弟がいるから理解できるものでもないし、仲がいいから理解できるものでもない。「理解できる人」と「そうである人」に理解できること。

 

だから母の「やばい」はどうでもよかった。

 

左岸』という本の1ページ、茉莉の言葉から、改めてそう思うことができた。そう思う自分を許すことができた。

 

本を読むということは時々そんな不思議と出会える。

 

だから私は本を読むし、だから私は本が好きでいる。

 

誰にもわからないことが、説明できないことが、文字になって“ある”こと。理解されないはずのことが、理解されてしまう瞬間がくる。肯定されてしまえることがある。そういうことが、本にはよくよくある。

 

茉莉の言葉(引用)は、そんな言葉だった。

 

私にも覚えのある言葉。

 

ぜひ、読んでもらいたい。皆さんはどう感じるのだろうか。

 

二人の作家さん、二つの本で一つの世界になるこの本たち。

f:id:im72nattsu:20210412154230j:image

 

茉莉の世界、茉莉のみる世界、茉莉がみる九。

九の世界、九のみる世界、九がみる茉莉。

 

ぜひ。