この本の中で、こう書かれている。
完璧主義の嫌いがある人が
一番気をつけなくてはいけないこと、
それは今の自分は不完全だから、
もっとよくならなくてはと、
すでにそこにある価値まで見失ってはいけないということ。
一行ごとにイラストが添えられ、すすんでいくそのフレーズに、私は毎回泣きそうになる。
一番気をつけなくてはいけないこと。
それは「今の自分は不完全だから、もっとよくならなくては」と思うこと。
なぜなら、その思考がすでにそこにある価値まで見失ってしまうことになるから。
だけども、「今の自分が不完全だから、もっとよくならなくては」と努力するのはよくあることだと思う。不完全さを埋めようと努力することはよくあることだ。
私がダイエットする理由だって、今の自分が“不完全”だからで、「もっとよくならなくては」としている。そもそもは、ただ純粋に「今より可愛くなれるかも!」からだったはずなのに、今では「痩せてない自分は不完全だから、痩せなくては」と思っていたりする。
だから思う。
「すでにある価値まで見失ってはいけない」
この言葉はより多くの人に伝えられるべき言葉だって。
誰かのようになることも素晴らしい。誰かのようになりたいとすることも素晴らしい。けれど、眩しさに焦って、あるものまで見失ってはもったいない。それではもったいなすぎる。
せっかくの努力を、幸せになるためにする努力を、苦しめるための努力にしてはいけない
それは、とても大事なことなのだと思う。そのために、すでにある価値を見失うのは、やっぱりいけない。
すでにある「健康」を、すでにある「食べられる環境」を、見失ってまでするダイエットに意味は本当にあるのだろうか。
すでにある「いいところ」「好きなところ」を見失ってまでするダイエットに本当に意味はあるのだろうか。
それを考えてみても、答えは多分「そこまでない」だから。
どうせなら「すでにある価値」をちゃんと知っている方がいいはずで、「すでにある価値」を知っているからこそ意味があるはずなのだから。
その方が豊かなはずなのだから。
すでにある「価値」までを見失ってまで、見失って「不幸だ」と思ってまで、完璧を追いかけることに、不完全を埋めることに「意味」は、そこまでない。
だからやっぱり、すでにそこにある価値まで見失ってはいけない。
“完璧主義の嫌いがある人”は特に。頑張ってしまう人は、誰かの期待に答えるように、誰かの、社会からの、期待から外れないように努力してしまう人は特に。
この本の言葉を、心に忍ばせておいてもいいのでは、と思います。
完璧主義の嫌いがある人が
一番気をつけなくてはいけないこと、
それは今の自分は不完全だから、
もっとよくならなくてはと、
すでにそこにある価値まで見失ってはいけないということ。
だけど、もしかしたら、それ自体がむずかしいこともあるのかもしれない。
「見失ってはいけないこと」を心では、頭では、分かっていても、日常を必死に生きていては、それどころではなくなることもあるかもしれない。すっかり忘れて、「不完全な自分をよりよくしたい!」と心を燃やすこともあるのかもしれない。
そしたら、今度は続きにこう書いてある。
「自分は完璧じゃないから
もっと改善しなくてはいけない、という
心の存在に気づいてください。
その心のままでは、どんな知識も
自分を突き刺す武器になってしまうので」
大事なのは、「自分は完璧じゃないからもっと改善しなくてはいけない」という心に気づくこと。気づいていくこと。忘れそうになっても、心に気づきなおしていくこと。
せっかくの知識を行動を自分を突き刺すような武器にしないために。
心の存在に気づくこと、心の癖に気づくことだと。
きっとそれは「すでにある価値」を見失わないためにできる一つのポイントなのだと思う。そうすることで、努力を知識を心を救っていけるのではないかって私は思う。
大事にしたいです、この本のこの言葉たちを。
すでにそこにある幸せのためにも。すでにそこにある価値のためにも。
そう思う。