子供のころ、怖かった言葉ってなんだっただろう。ずっと考えている。『号泣する準備はできていた (新潮文庫)』を読んでからずっと。この本の中にこんなページがあったからだ。
「うはうはという言葉が、どういうわけか、恐かったの」
恐かったものについて“私たち”が話している場面。 “私たち”の“私”は「うはうは」が、“新村さん”は「性懲りも無く」が子どものころ恐かった言葉だと話している。私にとってそれはなんだろうか。『号泣する準備はできていた (新潮文庫)』を読んだ日からずっと考えていた。
最近ようやく一つだけ出た。お母さんがいう「やばい」だ。
おかしい、ふつうじゃない、を含んだような「やばい」。いやらしい、とか、かわいそう、とかが含まれたような「やばい」。蔑むような「やばい」、牽制しているかのような「やばい」。いい意味ではない母の口から出る「やばい」。
「やばい」という言葉が子どもの頃から恐かった。そんな気がする。
太った背中に「やばい」
学生時代、こどもの動画を見ていたら「やばい」
家に閉じこもる姿に「やばい」
私だけじゃない
母の常識とはずれたものは一言。「やばい」だった。
その言葉の温度はとても鋭い。その言葉一つでとどめを刺される。
私はその言葉が嫌いだった。
「どういうわけか、恐かったの」
そう本にもあるように、私もどういうわけか恐かった。もしかしたら、母の中にあるかたく信じた価値観が恐かったのかもしれない。それが「常識だ」という確かな価値観が、それ以外認めなさそうな、“それ”が恐かった。
そんなおかげか、私は私、人は人、だと思うようなった。人と話をするとき、人には人の、私には私の価値観があると思える。「ふつう」も「当たり前」も「常識」も人それぞれ違うのだとそう思う自分がいる。私に理解できないことでも、相手にとって理解できることがある。本人がそう思うなら、本人がそう考えるなら、それでいい。それがいい。できるだけ、そう思えるような自分でありたいという「私」は、子どものころから恐かった「やばい」からきているのかもしれない。
私に常識があれば、人にも常識がある。私の常識が他者にとって常識ではないこともある。 私の常識は、他者の非常識。
「やばい」はない。
思えばそういうことは、母に限る話ではなかった。開いた扉を閉じるきっかけは、誰かのいう「絶対」とか「当たり前」とか「ふつう」が、私と違った時に聞く「やばい」だったのだから。
「やばい」この言葉は便利な言葉。
「やばい」この言葉はもちろん私だって使う。
だけど、「やばい」という言葉が好きではない。
だから、あまり使わない言葉。
「何がやばいの」と言い返したくなる。
「何がやばいの、言ってみて。」そう言ってみたくなることがある。
その心は、小学生の頃から、すでにもうあった。
理由はきっと、「子どものころから“どういうわけ”か、恐かった」からだろう。そう思う。