新しく1冊の本を買った。前回の本からまだ2日しか経っていない。
だけど、買った。時間ができたので寄ってみた本屋で、前向きに置かれた姿が目の奥に入り込んできたから。気になった理由は、表紙だった。この表紙の絵に足を止められた。
こんな相手(表紙の絵のような)が、私にはいるだろうか?
「いいなあ」と思う。純粋に。だって、私にはいないから。もし私の姿を表紙にするならば、黒い女の子だけがいる事になるだろうと思う。ノートとペンが足されて、肘をついて、窓の外を眺めている。そんな絵になる。私の相談相手はいつも自分で手帳だから。
そんなことを思いながら「表紙の絵」に惹かれ手に取ったこの本はとても素敵そうだった。
・「可愛くなりたい」という気持ち
・「自分を好きになりたい」という気持ち
・「愛されたい」という気持ち
・「傷つきたくない」という気持ち
・「幸せになりたい」という気持ち
これらについて書かれている。
最近ちょうど、「可愛くなりたい」について考えていた。今一緒に働いている年下の子たちをみていて違和感を感じているからだ。それが“若さ”と思ってしまえば、片付くことだけど『男性からの評価=女(自分)の価値』と捉えている姿に苦しくなってくる。「遊んでいること」と「遊ばれること」が、自分の価値だと思っているかのような会話に、そのマウントの取り合いに、「違うよ」と言ってしまいそうになる。余計なお世話だ。グッと堪える。つい、「あなたの価値はあなたが決めるものだよ」と言ってしまいそうになる。「自分を落とす必要はないんだよ」と。
そういう違和感を慰めてくれるような本だと感じた。最近感じている“もどかしさ”への「手紙」になってくれるような本だと思った。だから「買おう」と決めた。
頼まれてもいないのに、“もどかしさ”を勝手に感じ、その子に少し苛立っている私を宥めてくれるような文章だった。目の前の人の人生は私の人生ではない。私の人生は、この子達の人生じゃない。苛立ったり、比べて焦ったりする必要なんかない。その時その時がベストなんだ。 そう、最近の毎日を慰めながら読めた。
最近、エッセイ本を買うことが多い。単純に、好きだから。「人生」を「その景色」をのぞけることがとても楽しいから。そして、著者に起きたハプニングが、自分に降りかかったハプニングと重なると、「最悪」も「最悪ではないかも....」になるから。これが大きい。
著者の笑えないハプニングにクスクスっと笑っている自分に気づくと、自分に降りかかっているハプニングがどうでもよく思えてくる。『誰かの笑えないハプニングは、誰かの笑えるハプニング』そう思える“エッセイ”が、私はとてもとても好きだ。
今日、これからの時間に「よし!」と思える。何かがうまくいかなくても、誰かに“笑ってもらえればいいのだ”と振り切っていける。1日を振り切っていける。失敗も成功もネタ。経験はネタ。人に流れている時間に同じものはないから、全てネタ。隠れたり、隠されたりする必要はない。思いっきりしちゃえばいい。めちゃくちゃしてしまってもいい。上手く過ごす必要なんてない。
だから、最近は「エッセイ」を買うことが多い。
今回買った『君なら、越えられる。涙が止まらない、こんなどうしようもない夜も』
素敵じゃない人が吐き出した言葉なんてどうでもいい
かもしれない。その章の最後にはこうもある。
だってそんな言葉を口に出せるやつに、素敵な人なんてひとりもいないから。そして素敵な人以外の吐き出す言葉なんて、どうでもいいから。