あの島に移り住むまで

〜「好きな本から」を書きたくてはじめたけどいろいろ書いちゃってるブログです〜

書けない時に捨てるもの

 

書けない。

 

私は毎日「書けない....」と思う。でも書かなければと思うので書く。誰に言われたわけではないのだけれど、自分に言ってしまったから書いている。週にたった1日だけ「うわぁ!めっちゃいい感じに書ける!」と書ける日があって、その他の6日は「あああああああ、書けない〜」といいながら、消しては書いて、書いては消して、を繰り返して書いている。

 

ほとんどの日が書けないない日。

ほとんどの日が、思っている通りに、思い描く通りには書けないのが悔しい。

 

それも、どんどんどんどん書けなくなるのが悔しい。どんどんどんどんしっくりこなくなるのがこれなんと不思議。だけどそれも、私だけではないのだと思う。プロだってそう言っているのを読んだことがあるし、ブログを読み回ってみても似たことを感じて書いている人を何度か見かけた。

 

そんなことを考えつつ本を読んでいたら“矢を打つような文章”と出会った。こうある。

 

喜嶋先生の静かな世界 The Silent World of Dr.Kishima (講談社文庫)
 
今書こうとしていることは、僕がよく知っていること、僕が興味を持っていること、僕が好きなことだ。さらにいえば、僕だけが知っていること、世界中で僕の頭の中にだけあるものだ。それが書いていてよくわかってきた。時間はかかったけど、それは難しかったからではなく、もっと良い文章を書こう、もっと詳しく書こう、と欲張ったせいだった。自分が興味を持ったことを、確かにもっと知ってもらいたい、という感情があることに僕は気づいた。
 

 

これは、主人公の“橋場くん”が論文を書く過程で気づいたこと。

 

この文章、この文章のある前後のページは、とても意味のあることのように感じた。

書くことを難しく思うのは、「それが難しいのではなくて、もっといい文章を書こうと、もっと詳しく書こうと欲張ったせい」というのはとてもしっくりくる。上手い言葉で書こう、良く書こう、あれもこれも書こう、欲張った結果が「あれ、なんでこんなにまとまりがないの?」だから(笑)

 

書きたいのに書けない時、書きたいことはあるのに上手く書けない時、そういう時にできることは、「欲張ること」から離れることに鍵があるのだ。

 

そしてこれは、書くだけに当てはまることではない。

例えば、トークだってそう。「上手く話せない」「話すのが苦手」とよく聞く。私もその一人。だけどそれは、「話すことが苦手」なのではなくて、ついつい上手く話そうと良く話そうとするから、もっと詳しく伝えたいとするから、欲張ってしまった結果に「苦手意識」があるだけなのではないのだろうか。

 

上手に話そうとすることをやめてみたら、全てをわかってもらおうと話すことをやめてみたら、難しく話そうとすることをやめてみたら、意外に話せるのかもしれない。いや、話せるはずだ。

 

そして、面白いのは(引用した文章が)今上手く書こうとしていること、今上手く話そうとしていることが、「私が知っていること」で「私が興味を持っていること」なのだからということ。それ自体がすでに面白く、上手く頑張る必要が全くない、ということに気づかされてしまうことにあるのだと思う。「私が」というそれが、それ自体が、面白い。

 

面白いのだから、背伸びしすぎないでいい。

 

書こうとしていることは、話そうとしていることは、私の頭の中にだけ、私の頭の中だからあること。だから、自分が興味を持ったことを、ただ確かにもっと知ってもらいたいと、ただそれだけに集中すればいい。

 

それが「理想通り書ける」に、「理想通りに話せる」に、一番近づける方法。

 

力を入れなくていいところを知る。力を抜くことを覚える。それを忘れなければ、今よりもっと書くことが楽しくなるし、今よりきっと楽しく書けるのだと私は思う。

 

自分の思いを考えを知識を書いて伝えることも話して伝えることも、ポイントはこれ。

「欲張りすぎないこと」かも。