どうも、なつです。
最近、『去年の雪』という本を読みました。
その中でこう書かれてるんです。
世のなかはこわいことだらけだ。それは、テレビのニュースを観たり新聞を読んだりすればすぐにわかることだ。無差別殺人とか家庭内暴力とか、いじめとか自殺とか、詐欺とか、無謀運転とか幼児誘拐とか。世のなかはこわすぎる。
だから奥野弘子はできるだけ外にでないことにしている。
私は思いました。
「あ、これ、自分の名前をここに置き換えることができるな」と。
ただし、"だから岡田なつはできるだけニュースを見ないようにしている"に訂正して。
・・・・・
そうなんです。
私は、無意識にニュースに触れてしまうことを極力避けて生活しています。
「観よう」と思ってみることは“よし!”だけど、無意識に流れ込んでくる「みる」は“NG”。
なぜなら、見るたび知るたび、心がズドーンと重くなるから。
最近は、ニュースがどこにいても目に耳に入ってくる環境がある。テレビを見れば報道ニュースが流れ、ラインをひらけばラインニュース、検索しようとGoogleを開いたらまたニュース、Twitterを開いてもトレンドからニュース、、、
心が痛むような情報がどこで何を見ても入ってくる。
その度、ズドンとくる。その度心がズキっとする。不安が重ねられる。
暖かいニュースもあるけれど、それよりも、冷たくなるようなニュースが目立つ。
毎日毎日「怖いなあ」と心が揺れる。
疲れている。そうやって情報に揺れることに。
疲れている自分に気づいた時、無意識的にストレスを重ねるのは、「なんだかなぁ」と思った。見るつもりはなくても見てしまった情報によくない影響を受けるのは「なんだかなぁ」と。
だから、できるだけ。
だからできるだけ、むやみやたらに見ないように意識して過ごしてる。
例えば、テレビをあまり見ないようにするとか、つけっぱなしにしないとか。SNSも触れすぎないようにするとか。 “だいたい”ではあるけれど、“だいたい”で気をつける、とか。
「全く見ない」わけではなくて、「無意識で見ない」と決めている。
今だと、コロナウイルスの情報だったりは“知っておくべきこと”だと思うので、夕方のニュース見たりするけれど、、、でも、見過ぎない。不安になりすぎないように、整えながら、情報を集める。
そういう意識でいるようにしている。
そういう意識で「ニュースや情報」から距離をとることを大切にしている。
小説の中にでてくる奥野弘子が「世の中はこわすぎる」とできるだけ外に出ることを控えてしまうように、私の心が世の中に怯えすぎないように。自分の心を守るために。
この世界をできるだけ楽しいものとして捉えて生きるために。
世のなかはこわいことだらけだ。
それは、テレビのニュースを観たり新聞を読んだりすればすぐにわかることだ。
もし本当にそうであっても、その中で楽しく幸せに生きていくために。
その分、本を読むし、その分、心動かされる作品にたくさん触れる。その分、生の言葉を聞く。
私はそう思っている。
便利には、上手に付き合っていくことが大事なのだと私は思う。
情報には、上手に付き合っていくことが大事なのだと私は思う。
そう思う。そう思った。『去年の雪』のあるページを読んで。