あの島に移り住むまで

〜「好きな本から」を書きたくてはじめたけどいろいろ書いちゃってるブログです〜

本当の自分を探してきた人生だった

居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書 (シリーズ ケアをひらく)

「本当の自己」って「私、カラーコーディネーターになりたかったのよ!」みたいな、孤独に悩みぬいた末に見つかる「真実の私」というテンション高い感じがするかもしれないけれども、そうではない。それは本当の自己ではない。やっぱりなんか無理している。 

 


 

ずっと「本当の自分」が欲しいと思って生きてきた。「これこそが私だ!」って言い張れるような「自分」に気づきたいって想いがずっとあった。

今思えば、“そう”だったのかもしれない。『居るのはつらいよ』という一冊から引用した(冒頭の)文章のままが、「私」だったような気がする。

 

「本当の自己」って「私、カラーコーディネーターになりたかったのよ!」みたいな、孤独に悩みぬいた末に見つかる「真実の私」というテンション高い感じ

  

数年前まで、

 

「音楽で生きていくために生きてきたんだ!」

「私にできることって、これ(歌)くらいしかないしなあ」

 

と走っていた頃はそんな感じだった。

最初は純粋に、「人前で歌を歌えるようになりたい!」と思って飛び込んだ世界。だけどそこは、想像以上に楽しい世界で、そのまま「歌手になりたい!」とライブ活動を始めた。学校ではうまく人と付き合えないけど、音楽の世界で出会う人はみんな温かった。そして、学校では通じない言葉が音楽を通じてならうまく通じた。

 

「これしかない!!」って思った。 

 

「それこそが私のやりたいこと、やるべきこと、できることだ!」

 

「これしかない!!」って。

  

なのにいつも違和感は同時にあった。

 

「これが『本当の私』でいいんだっけ?」

「これが本当に好きなんだっけ?」

「これが本当に『私のやりたいこと』で合ってるのかな?」

 

そうではない。それは本当の自己ではない。やっぱりなんか無理している。 

 

確かに、そうだったのだと思う。

どこか高いテンションで決めたものだった。

本当の自分というより、本当の自分風。

どこか自分を誤魔化して、当てつけている感じ。

 

やっぱりどこかで「無理してる」感覚だった。

   

「音楽が私の“やりたいことだ”!」

「音楽が私に“できることだ”!」

「これこそが『本当の自己』だ!」

 

嘘じゃなかったし、本当にそう思ってたけれど。できるものなら、“そうでありた”かったけれど。「本当の自己」とは言わなかった。きっと「無理をしていた」部分があったから。

 

「本当の自己」なんてものは、悩みぬいた先に見つかる「真実の私」ではないのだと思う。悩みぬくとか、考え続けるとか、探し続けるとか。そんなことで見つけられるものではない。

 

探し方が間違ってた。

そもそも、探すことから間違ってた。

 

思えば、「自分のこと」をよく理解している友人たちも、探したりしてなかった。探さなくても分かってたし、言われなくても気づいてた。すでに「ある」ものが「私だ」って分かってた。「本当の自己」なんて、すでに「ある」ものでしかないのかもしれない。

 

見つけるものでも、探すものでも、決めるものでもない、もう「ある」もの。

 

結局、私のそれは何なのだろう。

私の「本当の自己」 って何なのだろう。

 

分からないけど、「本当の自分を分かってない私・本当の自分が分からない私」が「本当の自己」なではないかって思い始めている。