「自分で食べなさい。
一人で育って、生きていけると思ってるのだから、全部自分でやりなさい」
入学して1ヶ月、私は大学を辞めることを決めた。
相談してみたり、提案してみる前に、「辞める」と決めた。
「大学を辞めようと思ってる。アルバイトをしながら音楽だけやっていきたいから」
そう話す私に母は、
「勘当されるつもりでいなさい」
と言った。落ち着いた声でそう言った。それが「本気」だなんてことは、顔と声の雰囲気だけで分かったけど変えるつもりも変わるつもりもなかった。
「あおいちゃん」と「私」は、すごく似ていると思う。
あおいちゃんというのは、『母親ウエスタン (光文社文庫)』という小説に出てくる大学生の女の子。優しい両親のもと育ってきた。育ってきたその道が「当たり前」すぎて、それ以外をあまり分かっていない。一人で立ったこともないくせに一人で立てると思ってる。親がいてもいなくても、私は私として生きていくことができると思ってる。ご飯をつくってもらって、洗濯をしてもらって、掃除された綺麗な家に住んでるくせに。
まさに『一人で育って、生きていけると思ってる』。
だから、自分の選択が思わぬ反対を呼ぶことがあることを分かっていない。そして、その反対がどういうことなのか。その本質もよく理解してない。
あおいちゃんは付き合ってる彼から結婚しようって言われる。お互い卒業して仕事をしたら結婚しようって。そして、一緒に住もうって。だから親に言う。
「卒業したら彼と一緒に住もうと思ってる」
もちろん反対されるのだけど、理由は「同棲すること」にじゃない。その家に「彼の母親のような人」も一緒に暮らす予定になっているということ。なぜ、まだ働いたこともない娘に、大事に育ててきた娘に、苦労すると分かっている場所へ送り出す応援ができるのか。と、大反対されてしまう。
それでも、彼は好きな人で、一緒に住むのはその彼の大事な人。やっと、彼が抱えてきたものを少し支えることができる。大変なことも、ふつうじゃないこともわかってるけど、それでも、そう(同棲)したい!!
親なんていい!!分かってくれない親なんて!!決めたことだから!!
それで、どうにかなると思っている。どうにかやっていけると思ってる。
だからあおいは言われてしまう。
「自分で食べなさい。
一人で育って、生きていけると思ってるのだから、全部自分でやりなさい」
毎日あった朝ご飯が用意されてないのをみて、「ないの?」と聞いて、言われてしまう。一人で生きてきたつもりなら自分で勝手にしなさいって。
私が言われた「勘当されるつもりでいなさい」も、きっとこういう意味だった。一人で育って生きていけると思ってるのだから、これからは家を出て全部自分でやりなさい。戻ってこないつもりで、戻ってこれないつもりで、出ていきなさい、って。
当時はわかってなかったけど、周りの大人が反対したのもそういうことだった。
好きなことをしていくのに、一人は大変だよ。
私は本当バカだった。一人で生きていくことがどれほど大変か、恵まれすぎて理解してなかった。一人で立っていくことはとても楽しいことだけど、簡単なことじゃない。その本質を簡単にみすぎてた。
本当に子供だった。
「一人で育って、生きていけると思って」た。
だからこそ勢いがあったし、だからこそ得たものもたくさんあるけれど、それでもやっぱり馬鹿だった。ボケボケのお馬鹿ちゃんだった。
あおいちゃんと私は似ている。
親がいない大変さを、一人で立っていく大変さを、知らないところ。一人で生きていけると思ってるところ。一人で育って生きていけると思ってるところ。