最近、『恋するために生まれた』という本を読んだ。
久しぶりに“ワクワク”というのか“ゾクゾク”というのかを感じた本だった。その中でも一番は、江國香織さんの言葉全てが作品の中に居る人たちに通じていていると感じたこと。全ての作品の全ての登場人物が江國香織さんの脳だってことを感じられたことにゾクゾクした。これまで読んできた「江國香織」の本の中に住む魅力的な人たちは間違いなくこの人から生まれたんだって思った。
例えば、
嫉妬なんて見苦しいし、正しくないって思う。それなのに不思議なもので、誰かに嫉妬されると嬉しい。誰か、というか自分の好きな人に嫉妬されたら嬉しくて、たとえば「きみはきみのまま、どこにでも行っておいで」なんて言われたら、ちっとも嬉しくないじゃない?
ってところ。
こういう心がどの作品にも感じられる。
私は江國香織さんの描く女性がとても好きで、全作品制覇を目指しコツコツと読んでいるのだけれど、どの作品も上の言葉と似た匂いを感じる。冷静なのに情熱的で、儚いのに現実的。捕まってるのに掴まれてない。つかまえていないのに、つかまえている。女性が美しい。どの作品も。だから、読みたいと思う。なれるものならこういう女性になりたいって思いながら読む。読みたくなる。
女性が美しいから、男性もいつもかっこよくて美しい。
あとは、ここなんかもそう。
彼がどうやって就職活動の会社を決めるのか、分からなかったから、「確信できないのに、どうして行動できるのか分からない。絶対、これだって思えないのに」って問いつめた。そうしたら彼が言ったんです。「そんなの思える人がいるわけがない。世の中に絶対なんてない」私は「個人的な絶対」でいいと思った。何もかも知ったうえで、間違いがないっていう確信などいらない。「私にはこれしかない」というものだけが、欲しい。
こういう、フワッとしてるのに核心的な心。
そういう心がどの作品の登場人物にも漂っているように思う。
世界は広いし、人生は長い。命を縮めるような恋でもしなきゃ、長生きしすぎちゃうよ、と私は言いたい。
こうした言葉の匂いが、いつも漂う。大人でも、子供でも、どの作品からも感じる匂い。
恋愛がテーマだったこともあって、エッセイにある全ての言葉が「小説」を思い出させた。読みながらずっと感じていたことは「江國香織」という脳が「本」なのだということだった。
生き方が、言葉が。
脳が、目が、耳が、全てが。
私の好きな『本』の匂いだった。
本は人。人は本。
そう思った。その意味のままを感じるような本だった。
本って人だ。
人って本だ。
だから私は好きなんだ。
だから私は「江國香織ワールド」が好きなんだ。