あの島に移り住むまで

〜「好きな本から」を書きたくてはじめたけどいろいろ書いちゃってるブログです〜

「それぞれ」を教えてくれていた作品

 

小学生の頃、アニメ『カードキャプターさくら』をテレビで見てた。

 

 

すごく好きだった。「カードキャプター」になった気分で遊べるおもちゃを、誕生日プレゼントに買ってもらったくらい、好きだった。

 

まだ小学生で、子どもだったけれど、主人公のさくらちゃんを羨ましく思った。「なりたい」と思ってた。だって、さくらちゃんは、可愛くて、かっこよくて、お父さんにもお兄ちゃんにも愛されている。知世ちゃんがいて、ケロちゃんがいて、小狼がかっこよくて、魔法が使える。何だかすごく羨ましかった。私も、ローラースケートで学校に行きたかったし、かっこいいお兄ちゃんと登校したかった。桃矢みたいなお兄ちゃんが欲しかった。

 

ただ、好きだった。

 

桃矢が。

 

だから、作品を見ながら何かを学んだり、何かを感じとったり、していたわけじゃないと思う。けど、何となく好きだった。理由は、マルだったから。感情が円になっていたから。みんな、誰かが好きで、みんな、誰かを大事にしていたから。そういうマルが好きだった。

 

そんな『カードキャプターさくら』を、最近、Netflixで改めて見なおしてみた。

 

すごくよかった。改めてみても、とっても可愛くて、とってもいい作品だった。

 

「懐かしい!」

 

「やっぱいい!」

 

そう、やっぱり最高だった。

 

ただ、今と昔で変わったことがあった。それは、大人になってしまってなのか「引っ掛かるポイント」がいくつかあったということだ。例えば、あの頃は分からなかった「好き」という感情のこと。先生を想う小学生と、生徒を特別に想う先生。桃矢が雪兎に想う感情、雪兎が桃矢に想う感情のこと。気になってしまった。

 

「うん??」と思うような感情たちが目に入ってくる。

 

今だから「ああ、そうだったのか」と思うようなシーンたちが目に残る。

 

雪兎と桃矢桃矢と美月先生。担任の先生と生徒。さくらと知世。

 

少し前に、私の推し「桃矢」をTwitterで検索してみたことがあった。

 

桃矢のこと好きな人ってどれくらい、い、る、の、か、なあ〜?」

 

みたいな感じで。

 

そこで目に入ったのは、『カードキャプターさくら』への感想。私が「うん?」「ああ!」と感じたシーンに「ロリ」や「同性愛」という言葉で形にされてしまっているのを読んだ。ああそうか、パッと見た人たちには「先生と生徒」に特に「よく感じなかった人」が多いのだと思った。

 

だけど、どこかで読んだことがある。 作者さんのコメント。

 

複雑でも大丈夫だってこと。複雑でも明るく生きていけるってこと。見てくれている子どもたちが「今」はわからなくても、後々、何となく分かってくれる作品であったら思っていいなと思いながら描いた、と。いつだったか読んだ。何となくでも、いろんな人がいるんだと、いろんな想いがあるんだと、幸せの形は色々あって、人の感情は同じじゃなくていいんだってことを、分かってくれたらいいな、と。随分前に読んだ。

 

「“同じ”じゃなくて幸せはあるし、幸せには“いろいろ”ある」

 

「一見ふつうとは違っても、ふつうに生きていける」

 

「何となくでも伝わってくれていたらいい」

 

そう描かれているのだとしてみてほしい。

 

そう思って観て、私は改めて好きだと思った。

   

「何となく好き」だった作品が「だから好き」に変わっていく。

 

今の小学生たちにも触れる機会があってくれたらいいなあと思う。

 

大人になっても、素敵に思う作品だから。

 

カードキャプターさくら

 

最高だ。