三日ぶりに目を覚ましてとる食事が「重湯」だったことにがっかりしている主人公がいる。『わたしの本の空白は』という本の“三笠南”という女性だ。そんな“南”の姿をみて、私も思い出した。
入ってきたのは、看護師ではなく、病院助手だった。トレイに載せた食事を運んできてくれたようだ。うれしい。空腹を感じ始めていたのだ。だが、ベッドのテーブルに置かれたトレイを見て、わたしはがっかりした。薄い重湯とお茶しか載ってない。
三日どころか、約一ヶ月食べれなかったことがある。小学四年生で経験した一年の入院生活で、合併症を起こした時のこと。食事を始めていこうとなった時、測った体重が24kgで「おっ」と驚いた記憶がある。背中を起こして座れるくらい体力が戻ったあたりから始まった食事は“南”と同じく「重湯」からで。はじめてみた「重湯」の感想は、「何これ、お米、研いだ水やん!」だった。“まま”はその一年よく隠れるように泣いていたけど、その時も涙目だったことを今もまだはっきりと覚えている。
今ならば、もしかすると有り難く頂けるかもしれない。だけど、当時はまだ小学四年生。「重湯」なんて全く食べられなかった。食べたいと思えなかった。1ヶ月ぶりの「ご飯」なのに。なぜか悲しくて、個室の部屋も、食事ののったお盆の姿も、“まま”の姿も、はっきりと覚えている。
少しだけ味付けしてもいいという話で、お醤油をほんの少しかけて「重湯」を吸った。
ほとんど口につけないまま、少しずつお米の形が戻っていき、気がつけば「ご飯・パン」が食べられるようになっていった。病院食を美味しいと思った記憶はなく、メニューもほとんど覚えてないけれど、『ピザパン』だけ唯一覚えている。最後に入った病院には「子ども病棟」に、朝食からほぼさんがきてくれる。ほぼさんは、毎朝、朝食を「パン」で頼んでいる子供たちには『ピザパン』『チーズパン』『トースト』を選ばせてくれた。私はほぼ毎朝『ピザパン』だった。「なっちゃんは凝り性だね」とおかしそうに笑ったピンクの制服を着たほぼさんの顔は忘れない。ただ、ピザソースにチーズが乗った食パンだけど、それが一番美味しかった。
本当に食べられたものじゃなかった。「重湯」なんて。三日ぶりのご飯だったらまだいいかもしれないけれど、1ヶ月ぶりのご飯が「重湯のみ」だなんて!!!お腹が“生まれたて”状態なのだから当たり前なのだけど、当時の私に理解できるはずもなかった。ただ、インパクトだけが凄まじく脳に記録されている。
「 濁ったお湯がご飯??!」
きっと一生忘れないな。
あのお茶碗がのったお盆とその机の景色は。
あの衝撃は......