あの島に移り住むまで

〜「好きな本から」を書きたくてはじめたけどいろいろ書いちゃってるブログです〜

さやちゃんと英國屋

 

 

ぼっちーズ (メディアワークス文庫)

「実は僕、友達会っていうのを運営してるんだ。きみもどうかな、と思って」

 

森川がぎこちなさのつきまとう微笑みと共に、右手を握手でも求めるように差し伸べてくる。俺はトモダチカイを正しく変換するのに数秒、その会の胡散臭さに数秒、森川という男の真意を掴みきれず数秒、ツイけいで十秒近く硬直してしまう。森川はその瞬間、ジッと俺を待っていた。

 

「・・・・宗教の方ですか?」

 


 

大学生活を「ぼっち」で過ごす人たちで駆けめぐらされる物語。

「ぼっち」ってなんなのか。なぜ「ぼっち」なのか。

立ち止まって考えさせる世界だったなと思う。

 

そんな本ぼっちーズの中にあった文章。

 

「・・・宗教の方ですか?」

 

宗教とはちがう。ちがうけれど、ネットワークビジネスの勧誘にあったことがある。

 

ある飲み会で出会ったさやちゃんという女の子がきっかけだった。思い返してみれば「何かおかしいな」と思うことがいくつもあった。例えば、これまでは提案してくれたいくつかの流行りのカフェの中から選んで行くというのが“普段の流れ”だったのに、その日は「〇〇ビルの英國屋に3時ってどう?」と決められて連絡してきたこと。場所もお店もこれまで入ったカフェを思い浮かべて「なぜ??」と思った記憶がある。あとは、単純にいつもどこかソワソワしていたこと。特に三度目にあったその日は、いつも以上にソワソワしていた。なぜかいつも緊張しているようだった。私もつられてドキドキしちゃうくらい。

 

出会って三度目のその日、英國屋に入って30分ほど経ったくらい。

いつも以上にソワソワしていたさやちゃんはなっちゃんのこと信頼してるし言いたいんやけど、、、、」と、急にトークの温度を変えはじめた。

  

次に口にしたのが「一緒に仕事しない?」

 

え!!?? 

 

びっくりした。急すぎて。

 

一緒に仕事って何!!?

 

ただそれだけだった。

 

なんとなく楽しいことをしてるって話は聞いていたけれども。事務の仕事の他に新しいことをしてるって話はなんとなく聞いてはいたけれども。その仲間とフットサルしてる話や、その仲間との飲み会がどうだとかも、そういえば聞かされていたけれども!!

 

深くは聞いてなかった。そこまで興味もなかったし。

 

考えることもなく断るつもりだった。

音楽でやっていくことに必死だったし、「そんな暇はないです」って。 

 

なのに!!

 

「いや〜〜」

 

断ろうと口を開いた瞬間!!

 

言葉は遮られ、

 

「でな、今、先輩がたまたま近くにいるらしいし呼んでいい??」

  

ここからはもう一瞬。

 

「いや、ちょっと急すぎる、困る!!」

 

そう伝えたときには、もう噂の先輩がお店の入り口に到着してた。

 

・・・・・

 

(笑)

 

仕込まれてた!!仕込まれてしかなかった!!!

 もっと自然にやってくれればよかったのに!!!

 

これまでのぎこちなさの正体が判明して、ただイライラした。心のシャッターは完全に閉店。三度も会ったことが馬鹿みたいに思えてきて、自分に呆れて笑えた(笑)

結局、名前だけ紹介されすぐに仕事の話に。ビジネスのシステム、商品のこだわり、参加するメリット。目も合わないのに淡々とすすむ話を右から左へ流しながら10回は想像した。机をドン!と叩いて出て行く自分を。

 

今だったら「ちょっと待ってください」と途中で切り上げて帰ることもできる。今だったらそもそもそうなる前にそうなることを避けられる。けれど、当時の私はまだ二十歳で、そんな世界があることも知らなかったし、ただ怖くて言えなかった(咄嗟にボイスレコーダーで録音だけはしたけど)

 

終いには「これ使ってみて、使ったらさやちゃんに返して」とボディークリームを渡される始末。

 

「いや、なんで返さなあかんねん!」

 

きっぱりお断り。はっきりと。もう“一生”会うつもりはないので。あなたたちのすすめるそれを使ってみる気は一生ないので!!!。さやちゃんの先輩は、「いや、いいから一回使ってみたら?」と“目も合わせず”しつこかったけれど、それでもそこはしっかりお断りして帰った。

   

もう会うつもりもない。

 

それだけ伝えて解散。 帰りの電車、そっとラインを消した。 

さやちゃんもまだ新人さんだったのだろうなと思う。これが震えていたし。でももし、今、出会っていたら「こわいならやめておきなさい」そう言ってしまいそう。ああいうことは、不安なままやることじゃないと私は思うよ。

私の方がこわかったもの。会って三度目で、信頼も何もない中で、ただ店に入れられて、目もあわない人の話を聞かされるだけ、1時間。咄嗟にボイスメモで録音したくらい警戒してたもの。

 

そこからはよく分かるようになった。大人数募集されるアルバイトで必ずと言っていいほど確認される「たまに勧誘目的で働かれる方がいて、クレームをもらうことがあるので避けて欲しいのですが、そちらは大丈夫ですか?」のその意味。友達が「この間、道尋ねられたと思ったら勧誘やってん」と話してくるその意味。一人カフェしているとよく見かける「偶然装った風の会」のその意味。

 

そんな景色を見かけるたびに私は思う。

 

もう少し丁寧な伝え方を考えてはくれないか。一度立ち止まって、はじめる前の自分を思い出してみてくれないか。それを踏まえて広げることを考えてくれないか。こわがらせない方法を、もう少し上手な広げ方を。もし伝わり方が違ったらこわいものと思わなかったかもしれない人がここにいるんです!!って。 

 

いいものを人の紹介で買う。いいものを知り合いに買ってもらう。

 

それ自体は自然なことなのに。

 

もったいないなと。

 

私には違っただけで、「いい・わるい」は、人それぞれなはずだから。

 

伝えていくことにもう少し丁寧になってほしかったなって思う。あの日のことを思い出すと特に。似たような場面に出くわすと特に。

 

人が"いい”と信じるものには必ず意味があるし、誰かにとって“必要”であるから存在しているのだと思うから。

 

余計に思う。

 

もう少し余裕が欲しかったです。選択する余裕が。

 

先輩に会うことも。

仕事をしたいんだって言葉に向き合うことも。

  

もう少しゆっくりであれば、「苦手」にはならなかったかも。もしかしたら、ここまでイメージを傷つけずに済んだかも。

 

そう思う。

 

それが、誰にとっても、どう考えても、いいもの(商品)であっても。 

 

選択には人それぞれ「自由」がある。

 

そう考える時、思い出す出来事。

 

「宗教ですか?」ぼっちーズ (メディアワークス文庫)

 

この文章をみて思い出した出来事。

 

さやちゃんとさやちゃんの先輩と英國屋でつくられた時間のこと。

 

小説『ぼっちーズ』を読んで。

 

思い出した。