この本の中にこうある。
「太田さんには分からないと思いますけど、ああいう女の人には、本当に気をつけたほうがいいですよ。女にはわかります。ほとんどの女の人が、そのことがわかると思いますよ」
太田さんというのは男性なので、男の人にはわからなないと思いますけれど、という意味で言われている。「ああいう女の人には気をつけたほうがいいですよ」と。
そして、それに太田はこう言い返す。
「いったい彼女、どうしてそんなに女の人から嫌われるのかなァ」
太田はもうその気をつけろという女の人に心をのみ込まれてしまっている。
だからこそ、意味がある。「どうしてそんなに女の人から嫌われるのかなァ」
こういうことはよくあることなのかもしれない。こういうことはよく聞くような話だ。
男の人が気づかない女の匂いを女の人は気づくし、女の人がなぜ気づかないと思う女の匂いに男の人は気づかない。気づかないというのか、決して疑わない。どちらも、それを賢さといえばそうで、生きやすさといえばそう。別にわるいわけじゃない、だけど、別にいいと思えない人だっている。
“女の人から嫌われる女の人”
できるだけ言いたくはないけれど、確かに存在する。
女性からは警戒されやすいけれど、男性からの信頼が高い女性。
できるだけ言いたくない理由は、単純に言葉がよくないから。そして、こうした考えだけで「苦手だ」と思うのはできるだけ避けたいから。あとは、自分自身が「こういう女は」という言い方に苦しみたくはないから。
だけれども、この本のこのページがあまりにも本質をついているような気がして書いておきたかった。
「あの人には気をつけろ」と言った絵里はこう続けます。
「私たち女って、高橋さんみたいな人とずっと戦ってきたんですよね」
そうか、私たちは戦っているから警戒するんだ。戦っているから敵の匂いをかぎつける。
「働いている女はそうですよ。ああいう女の人に、上司のウケを取られ、大切な仕事を取られ、そして男の人を取られるんです。気づいた時には、高橋さんみたいな女の人にしてやられるんです・・・・。太田さん、ネットの書き込み見ましたか?」
・・・・・そうか。そうだ。
私はそれを読んで「そういうことだなぁ」と思った。
その表現が、「気をつけてください」に、正当な言葉だと思う。
その表現なら、「気をつけてください」の意味が正当に思う。
美味しいところだけ食べて去ってしまう女性が、女には分かる。
美味しいところだけ食べてなんてことない顔していつの間にかいなくなっている。
美味しいとこどり。たった一つも残さずに。
その強かさを知っている。
その強かさを少し憧れたりもする。
だから警戒する。
それを欲しいとは思わない。
それを欲せず、同じようにしないのは
「できない」「しない」という自分の選択なのに、
しれっとやってしまえる人をみると、「気をつけて」と言いたくなる。
女っていうのは難しい。人っていうのは難しい。
ああいう女の人には、本当に気をつけたほうがいいですよ。
この言葉の意味がこれまでで一番腑に落ちた作品、
こうした言葉に存在する「ああいう女の人」の意味がこれまでで一番腑に落ちた作品