あの島に移り住むまで

〜「好きな本から」を書きたくてはじめたけどいろいろ書いちゃってるブログです〜

なぜ「勉強しなさい」と言わないのかについて

 

どうも、こんばんは。なつです。

最近、糸井重里さん思えば、孤独は美しい。 という本を読みました。

 

この本を読みながら私は考えました。

何をって、 私の両親が「勉強しなさい」と言っていたその言葉の意味についてをです。

 

なぜかというと、こう書いてあったから。

 

思えば、孤独は美しい。

思えば、孤独は美しい。

  • 作者:糸井重里
  • 発売日: 2017/12/05
  • メディア: 単行本
 

 

たとえば、こどもに「勉強しなさい」とよくいう親は、勉強することによって、こどもに身につけさせたいなにかしらを望んでいるのですよね。

ぼくは、「勉強しなさい」と言われないほうの親でした。でも、なぜ「勉強しなさい」と言わないのかについて、それなりにずいぶん考えました。いろいろなことを考えたあげくに、わかったことがありました。

 

 

みなさんは、どうでしたか?

「勉強しなさい」とよく言われましたか?それとも、あまり言われませんでしたか?

 

私は、あまり言われずに育ちました。

「勉強しなさい」と当時は言われてるように思っていたけれど、実際思い返すとそんなに言われてなかったなと思います。「勉強しなさい」と厳しく言われた記憶が、ほどんどないからです。

 

「勉強しなさい」「宿題しなさい」

 

 

そう、言われたことはあります。

だけど、厳しかったことも、怒られたことも、ほとんどなかった。

 「(困らんように)勉強しいや!」はあったけど、「勉強しなさい!!」はなかった。

 

学校に行っていること

健康であること

楽しくやれていること

 

これが揃っていればいい、と言ってたこともあるくらい、ほとんど何も言わなかった。平凡な成績で笑って満足してくれてました。

 

中学に入って試験結果が受験に関わるようになった、

高校に入って試験結果が卒業に関わるようになった、

試験結果が将来に関わってくるようになって、

「勉強しなさい」と言われることは確かにあった。

 

 

だけどそれも、「好きなことをしたいなら、勉強してからにしなさい」だった。確かそう言ってました。

 

 

携帯したいなら、勉強もしなさい

漫画を読みたいなら、勉強もしなさい

遊びたいなら、勉強もしなさい

 

何かをしたいなら、勉強しなさいと。

 

それを思い出して考える。

 

私の両親が言っていた「勉強しなさい」「勉強もしなさい」の意味、、、、

 

私は気づいたことがある。

 

私がもらっていた「勉強しなさい」の意味。

それは多分、外で怒られないように、外で困らないようにだったということ。怒られて泣かなずに済むように、できなくて泣かなくていいように。“勉強もしなさいよ”と。

 

 

そう言っていたのだと思う。

 

九九ができずに泣いてた小学2年生、漢数字が読めなくて泣いて帰ったこともある。勉強ができるほうではなかったし、人より何でもおそいタイプだったので、勉強のことでよく泣いた。できなくて泣いた。

 

そんな私を私より知っているから「勉強しなさい」だったんだ。

 

そう思えてきます。

 

それを考えると、妹と弟が「勉強しなさい」と言われてる姿をほとんど見なかったことも納得がいく。それなりに、要領も頭もよかった二人は、言われなくても必要な分の勉強をしっかりとやっていたからで、成績も心配なかったからで、分からなくて怒ることはあっても(笑)泣くことはなかった。だからだったのだと思う。

 

私が外で泣かないですむように

私が外で楽しく外で過ごせるように

私が外でそれなりに生きていけるように

 

 

「勉強しなさい」という言葉があったのではないか、と。なんだかそう思った。

 

 

ちなみに糸井さんの考えられた、ご両親が「勉強しなさい」と言わなかった理由については、ぜひ、手にとって読んでみてください。

 

 

みなさんは、どうですか?

 

 

言われてきたほうか、言われてこなかったほうか。

もしくは、言ってきたほうか、言ってこなかったほうか、ということもあるかもしれません。

 

私はまだ後者を経験したことはないけれど、大人(特に親)が口うるさくいう言葉は全て想いあってのことだということを、今になって感じます。もう言われることがなくなってみて気づきます。

 

 

「勉強しなさい」も愛だったんだなあ。