あの島に移り住むまで

〜「好きな本から」を書きたくてはじめたけどいろいろ書いちゃってるブログです〜

どれほど備えても、足りないのだから

(こんばんは。岡田なつです。今日引用する話題は、もしかしたら苦手な方もいらっしゃるかもと思います。その時は遠慮なく読むのを中止してください。いつも読んでいただきありがとうございます!)
 
 
 

 

「もしも」の時に動けるようにしておくことは大事なことなのだと思う。

 
 

 

星々たち (実業之日本社文庫)

 

 

 

最近 星々たち (実業之日本社文庫)という本を読みました。

この本の中に、娘に下着を買ってあげるというシーンがあるんです。2年ぶり(13歳)にあった娘が大きな胸を持った姿をしていたから。なのに、下着を買い与えてもらえていない。それで、母(咲子)は百貨店へ連れて行きます。だけど、店の人から出された下着はベージュ色「特別サイズ」。それしかサイズに合うものは置いていないのだと言われ、可愛いものを買ってあげられなかった。

 

咲子は娘に言います。

 

「そんなおばさんくさいブラジャーだと、けっこう恥ずかしいんじゃないかと思うの」

 

そして、娘(千春)はこう返す。

 

「そんなことないよ。これで先生に触られなくなるかもしれない」

 

 

・・・・

 

 

ちょっと待ちなさいよ!!そうです。ちょっと待ちなさいよ!!なのです。

作中で「咲子」もそう言っています。

 

「なぜ、先生があんたの胸を触るのよ」と。

 

今日はそこで思い出した話を書きました。

 

・・・・・こう、続きます。

 

 「ランニングのとき、みんなに迷惑をかけてるからって。これは体罰じゃないって」

 

 

こわくなる。こうしたことが「ないわけではない」こと。それが「間違っている」と判断できないような子たちに向けられている、それが「ないわけではない」ことに。

 

 

そこでこう書かれています。

 

咲子は湧いてくる怒りを必死で鎮める。体罰じゃない。違う。なにも知らない子供に対する性的な悪戯だ。怒りを言葉にしようと口を開きかけたところで、はたと思いとどまった。 

  

体罰じゃない。違う。なにも知らない子供に対する性的な悪戯だ。」

 

タチが悪い。だからこわい。

 

なにも知らない子供に対する性的な悪戯があるということ。声を上げて助けを呼ばなくてはいけないことなのに、まだとそれすらも分からないような子どもを対象に手を伸ばす大人がいるかもしれないということ。ただ違和感だけがあって、それが変だという感覚だけがあって、でもこれは指導だと言われれば頷いて口をつぐんでしまうような“それ”があること。

 

とてもこわい。

  

私は少し経験があります。私自身ではなく親戚の子に。その子は「おかしい」ことをもうわかっていたけれど言わなかった。言えなかった。だけど、たまにしか会わない「私」だったからポロッともらしてしまえた。

 

言いました。

 

「胸を触られる」「だけど、おじいちゃん先生なの」と。

 

その時、多分咲子と同じようなことを言葉にしたと思う。

「はあ!?ちょっと待ってよ!!」と。

 

おじいちゃん先生だから何なのだ。触る必要のない場面で、なぜあなたが触られなくてはいけないのか。なぜ「おじいちゃん先生だから」と諦めなくてはいけないのか。教育のプロなのに、指導するプロなのに、なぜ見たくない大人の姿を晒すのか、訳が分からなかった。

 

その時、親には言わないでほしいと言われたけれど、ちゃんと話すことになった。私が学校に電話すると聞かなかったからだ。

 

彼女はきっと、おじいちゃん先生だということ、言えばことが荒立つこと、そして、言えば自分が話したのだとバレることを恐れて、少し離れた親戚である私に告白した。

 

バレないことを、バレてもどうにかなることを、わかってしている。汚爺ちゃん先生。 

 

そんなことを、『星々たち』を読みながら思い出した。顔を知ったじじいなら、毛穴の全てを爪楊枝でさしてやりたいくらいだ。

 

 

やっぱり思います。こういう時に対処できるようにしておかなくてはいけないのだ、と。こういうことに巻き込まれないように対処しておく方法を知っておかなければいけないのだ、と。

 

「もしも」の時に、どうすることが一番なのか。

「もしも」の時に、どう動きだせばいいのか。

 

そんなことを考えなくていいのなら、それが一番望ましいけれど。そんな心配をする必要もないくらい、平和な世界ならばそれが一番望ましいけれど。大事な人たちが安心安全に守られることが確約されていたらいいのだけれど。残念ながら、そうではないかもしれないから。

 

「もしも」の時に、動けるようにしておくこと。

「もしも」の時に、動けるようにしておいても、すぐ動けないものかもしれないからこそ、動けるようにしておくこと。

 

知らなければどうにもできないことが、知っていればどうにか動けるはずだから。きっと役立つから。

  

「もしも」の時に動けるだけの知識を身につけておきたい。

 

一度だけ、Twitterで見かけたことがあります。

 『自転車で通り過ぎるときに触られる痴漢にあったときの対処法』でした。知っていても動けないだろうから、見ていた人が助けられるように、見ていた人がいなければ、自分で動けるように、と拡散されたものだった。ずいぶん前で、それがどういう内容だったかは思い出せないのだけど、そういうこと情報がもう少し溢れたらいいなと思う。 

 

 

「ちょっと待ちなさいよ!」

 

 

そう声を荒げて咲子も、そう声を荒げられた千春も、千春に性的な悪戯をした体育の先生も、小説の中の人で、小説の中の話。

 

これは小説の中の話だったけれど、この世界も何が起こるかは分からない。

 

だから、『自分自身に「もしも」のことがあったとき、大事な人たちに「もしも」のことがあったとき、対処できるように、動けるように。』しておくことは必要なこと。

 

どれほど集めても、どれほど知っても、きっと足りないのだから。

  

そう思った。そう考えた。

 

桜木紫乃さん星々たち (実業之日本社文庫)という一冊から。