あの島に移り住むまで

〜「好きな本から」を書きたくてはじめたけどいろいろ書いちゃってるブログです〜

見れば見るほどブス

f:id:im72nattsu:20211016172437j:image

 

「お前って見れば見るほどブスやな」

 

小学6年生、人生で一番最初に「ブス」という言葉を言い放った男が「いいかも」を押してきた。これはもう事件だ。やっとのことで重い腰をあげて登録したマッチングアプリで「いいかも」を押してきたのだ。ヤツは。分かっていてか、分からずか。きっと“絶対”分かっている。

 

「お前もやってるんか!」

 

そうメッセージのやりとりでもしたかったのだろうか。そうだとしたら宇宙一大馬鹿者だと思う。まず一つ、大きく悔しいと思うのは私も少しだけそうしてやろうかと考えたことだ。全くと言って許せてないのに、自分からヤツを許す環境を用意してしまいそうになったこと。悔しい。

 

いつだったか、

 

「好きだったんだよ」

「なつが可愛いからからかってたんだよ」

 

そう言われたことがある。随分と大人になってこの頃の苦い記憶を人に話してみたときのこと。

 

みんなわかっていない。

目を見て言われる言葉の衝撃、みんなの前で言われる言葉の衝撃。不意に撃たれた傷は消えない。傷跡はいつまでも消えない。いつまでも消えない傷跡を鏡を通してみるたびにまた思い出すのだ。あの時間の感覚を。悲しくて悔しくてたまらない時間を。美容院に行ってウキウキしても、メイクが上手くいってワクワクしても、好きな人に可愛いと言われてドキドキしても、ふとヤツの一言を思い出して振り出しに戻る。ついでに見た目でコソコソと笑われた高校生活まで思い出しちゃったりする。いつだって自分のことを「可愛い」と思える自信を持った自分と、「私なんて」と自信の持ちきれない自分を飼いながら生きている。

 

そういう問題だってこと。

 

ヤツは大好きなサッカーをキラキラした目でやってる姿をプロフィールに載せちゃえるような人生なのに。からかい半分で「いいかも」を押してきちゃえるくらいの人生なのに。

 

覚えていない。この世にいる「ヤツ」たちはみんなきっと覚えていない。

 

『多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ』という本が出版されちゃうくらいに。

 

覚えていない。人は人にしたことを覚えてはいない。きっと思い出すこともないのだと思う。傷ついた人は、傷つけられた人は、いつまでも忘れられないでいるのに。ヤツらは「ごめんごめん」くらいに思ってる。「ごめん」と言えば済むと思ってる。会わなければ問題ないと思ってる。それくらいなのに傷ついている。跡が残るくらい。消えないくらい。

 

どれほど傷ついていても馬鹿でしかない。

 

そんなことは心の底から理解していても、それをそうすることはとても難しい。

 

だから定期的にこう思うようにする。「私の楽しいを楽しく生きていくしかない」って。

 

私の「楽しい」を、私の「楽しい毎日」を、「満たされながら」生きていることが最大の攻撃。SNSに書きたくなるようなものじゃなくて。誰かに見せようと思う思考すら浮かばないくらいの「楽しい」を過ごしていく。

 

できるだけ。できるだけ。

 

そうしかない。

 

そう改めて思った。

 

やっぱりマッチングアプリなんてやめちゃおう。

 

 

扉の前まであった本

 

去年の10月と今日の10月を思う。今の私はアルバイトをしている生活がある。入った頃と業務内容は少しだけ変わり少しだけ肉体労働感が増えて疲れることもあるけれど、この先クビにならない限り続けられそうな日々が安定して流れている。考えてもなかった未来、考え深い。

 

それは私にとって当たり前ではなかったことだから。

 

“ふつう”に考えれば、フリーターがアルバイトをするなんてことはごくごく当たり前のことだろうなと思う。学校に行ってるわけでもなくて、独身で。お金を稼ぐ。働く。自立する。そんなことは世間で言えばきっと当たり前のことなのだろう。就職する。発信する。企業する。アルバイトする。生きていくために、大人として生きていくために、大人になるために。大人になってしまったのだから仕事くらいする。仕事する、お金を稼ぐ、自立する。当たり前のこと。そうと分かっていても全くといって「当たり前」とは思えなかったのが私だった。

 

「しない」とはちがう、「できない」という言葉の意味。「できない」とはちがう、「本当にできない」という言葉の意味。

 

約4年ほどあった期間で「アルバイトの面接」を受けたことは何度かあったし、「アルバイトの応募」をしてみたことは何度もあった。合格をもらって職場の下まで行ったことが何度かあって、入り口を目の前に引き返したことが何度もあった。いけないことだと分かってはいても、どうしてもダメだった。どうしてかダメだった。こんなことはきっと甘えであって言い訳でしかないのだろうけれど、本当にムリだった。消えたくなった。何度も何度も。「行かなかった自分」に、消えてしまいたかった。それでもダメだった。それが4年間もあった。

 

それでも今は週4日か5日ほど「おはようございます!」と店のドアを押して出勤している。

 

「いつかは」と思ってた未来、世間でいう「当たり前」の未来。心から不思議に思う。こうしている自分のことを。今の時間のことを。そして、ありがたいなあと思う。そうさせてくれている職場のことを。一緒に働いている方たちのことを。本当に感謝の気持ちしかないです。

 

そうしてここまできて思う。そういえば、と。

そういえば、面接にいく時も、面接に受かった時も持ち歩いていた本があったな、と。初日のギリギリまで読んでいた本があったな、と。慣れるまでの2、3週間、出勤のギリギリまで毎日開いていた本があったな、と。

 

 

『働きアリに花束を』

 

 

『死にたい夜にかぎって』

 

どちらも「爪切男さん」の本。この本があったから「頑張ろう」って思えた。この本があったから頑張れた。「いろんな人がいる」「いろんな働き方がある」「いろんな人生がある」「色々あっていいんだ」「私もできることをやればいいんだ」そう思えるような文章をギリギリまで目で追いかけながら自分のことを慰めて店まで歩いた。もしかしたらそんなつもりで書かれている本ではないのかもしれないけれど、「ダメでもいい」そう思えたのが「爪切男さん」の文章だった。「できることをすればいい」そう思えたのが「爪切男さん」の文章だった。

 

クセになる。クセになっちゃう人生が、クセになっちゃう文章が、すごく面白い本。

 

おすすめです。

 

「この世界にはいろんな人がいる」、そう思えるような文章があることは幸せなことだなあと思う。「私にはできないことだ」と臆病になっていた一歩が軽々飛び越えられちゃったりするから。「いろんな人の一人ででいいのだ」と思えた瞬間に小さな一歩になって飛び越えちゃってたりするから。

 

f:id:im72nattsu:20211014205351j:image

 

ぜひ。

 

 

需要

f:id:im72nattsu:20211008163508j:plain

 

勘当されかけだった18歳の夏に出会った先輩と数年ぶりに会ってきた。「お金を稼がなくちゃ!」そう思って働き出したアルバイト先で、「夢があっていいね!」と10個も年が離れている私に話かけてくれたのが先輩だった。今、私はそのころの先輩と同じ年になろうとしている。それを考えるととっても不思議な気持ちになる。

 

お互いに随分と変わった。

 

先輩は素敵な旦那さんと結婚されて可愛い女の子のままになったし、私は「これが私だ」と思い込みきっていた音楽を全部やめた。あの頃とは随分と変わった「今」を過ごしているけれど、二人揃って「今が一番楽しい」といった。一緒に働いているわけでもない、生活だって全く違う場所にあるのに、同じように「今が一番楽しい」と思って生きてる。

 

とても幸せなことだと思った。

 

もう一つ、会ってなかった数年で大きく変化したことの話を聞いた。バリバリ働いていた仕事を辞め、「やりたかったこと」で新しいお仕事をされているって話だ。「バリバリ」という言葉が本当に似合っていた姿から「キラキラ」が似合う姿に変わってた。そんな話に改めて尊敬した時間だったのだけれど、その中で先輩の口から「需要」という言葉が何度か出てきて「そういえば、、、」と思った。

 

そういえば、「需要が何にあるのか」を昔から常に考えている人だったな。

 

今の若い子は何が好きなのか、どういうことに人は響くのか、よく聞かれた。思い返してみればいつだってずっとどこに何が需要があるのかを考えている人だった。そんな先輩が「なつはもう持ってるよ」と言って。「なつの『やりたいこと』には需要がきっとあるよ」そう言ってくれた。

 

それまでのことと、そこからのこと。

 

「あとはどこまで出すかだよ」

 

というわけで、

ブログのタイトル変えます!

 

 

 

マイナス4キロとマイナス3キロ

今週のお題「今月の目標」

 

f:id:im72nattsu:20211002225220j:image

 

先月4キロも体重が落ちた。1ヶ月の中で3日間ほどだけは「頑張った日」が確かにあったのだけれど、その他はそれほど特別に「頑張った」わけではなかった。理由は単純に食欲が落ちたことと運動にハマったことがかぶったことだと私は思う。4キロ落ちたといっても周りに気づかれるほどではないし「全体的にむくみが少しとれはじめた」くらいの変化でしかないのだけど、それでも数字に出てる結果は嬉しい。

 

すんごく嬉しい。

 

というわけで!!今月(10月)の目標は「このまま健康習慣を続けていくこと」です。

 

休みの日にするちょっとした運動の継続とお腹いっぱい前にご馳走さまするってことの継続。体が軽くなると心も軽くなるし、そのために必要な習慣のおかげで肌の調子もいいから、このまま「いい」習慣を継続することが今月目標。その先にここからもう3キロ減、頑張りたい。

 

ポイントは張り切りすぎないこと。頑張った日とそこまで頑張ってない日とで楽にいくこと。

 

今月のわたしの目標「より健康」。

 

ピッタリはまること

 

今更感が否めないけれど、昨日から『YOASOBI / 群青』にハマって聴いてる。

 


www.youtube.com

 

iPhoneを新しくしたのを機に「YOASOBI」と「緑黄色社会」の曲をガッと取り込んだのだけど、今更ながらハマってしまった。テレビをつければ聞かないことはない二組の歌。やっぱりいい。

 

なんてことなくとにかく流し聴いてただけだったのに、あるフレーズが耳に入った時、声に出して「そうやなあ」って言ってた。

 

好きなことを続けること

それは「楽しい」だけじゃない

本当にできる?

不安になるけど

 

本当にそうだなあと思う。本当にそうだったなと思う。

 

好きなこと続けること「楽しい」だけじゃやっぱりなかった。そんなことは何であってもそうなはずで、そんなことは当たり前のことなのかもしれないけれど、本当にそうだった。本当にそうだったなと思うんです。ずっとずっと「本当にできるのかな?」「本当にこれでいいのかな?」そういう不安と、「好きだ!」「これだ!」という気持ちとで続けていたことが『好きなこと(歌うこと)』だったから。

 

何枚でも、ほら何枚でも

自信がないから描いてきたんだよ

何回でも、ほら何回でも

積み上げてきたことが武器になる

周りを見たって

誰と比べたって

僕にしかできないことはなんだ

今でも自信かなんかない

それでも

 

本当に、何回でも歌えたし何回でも自分の名前を言う練習ができた。どれほどボロボロに言われてもどれほど眩しい人たちに囲まれても、続けてきたこと、続けていくことが武器だと思っていたし、「私にしかできないことは何だろう」「私にしかないものは何だろう」そんなふうに周りを見て、誰かと比べて、考えた日々が『好きなものを続けていくこと』だった。結局「私にしかできないこと」なんてわからないままになったけれど、そんな日々も思い返せば楽しかった。

 

感じたことない気持ち

知らずにいた想い

あの日踏み出して

初めて感じたこの痛みも全部

好きなものと向き合うことで

触れたまだ小さな光

大丈夫、行こう、あとは楽しむだけだ

 

本当にそうだった。

「歌を歌いたい!」そう踏み出す日がなければなかったものしかない8年間だった。好きなものと向き合うことで触れられたものでしかなかった8年間。痛みも喜びも恥ずかしさも誇らしさも。結局私はその『好きなこと』を辞めてしまったけれど、必死だった日々思い出すと、ちょっとやそっとのハプニングではどうってことない。「楽しめばいいだけ」と思って過ごしてる。都合のわるいことも、都合のいいことも。

 

歌詞は少し戻るけど、

 

嗚呼、手を伸ばせば伸ばすほどに遠くへゆく

 

のところ。ここも私にとって“そう”だった。この世界は追いかければ追いかけるほど逃げていくものがたくさんある。だからといって追いかけなければ掴めるものはないので追いかけなくてはいけないのだけど、“追いかければいいってものじゃない”ってことも一つだったのだと思う。たまに「ハッ」となってみる。「ハッと」立ち止まっている。ただ追いかけているだけになっていないか。そういうちょっとのことが大事だったりする。サイクルしながら動いているから。この世界は、この世界の物事は。

 

一体何人もの人が「わかる」と思って聴いているんだろう。

一体何人もの人たちが「私みたいだ」と思って聴いているんだろう。

 

ああ、なんていい曲。なんていい歌詞。

 

そうしか思えない。

 

『YOASOBI / 群青』

 

MVも人じゃないのがいい。生じゃないのがいい。

 

『好きなものを続ける』ってこういうことなのだろうなと思う。「YOASOBI」を眺めてると。

 

きっと、ピタッとはまる必要がある。ピタッとはまることに鍵がある。人に、人の流れに、時代に、時代の流れに。ピッタリと。確かなことはわからないけど。

 

私は、そう思う。

 

私も、

 

もう今はあの日の透明な僕じゃない

 

そうなれていたらいいなと、

 

そう思う。

 

ただ好きって話

今週のお題「好きなお茶」

 

完全に出遅れちゃった。せっかく書いていたのに。

「写真撮ってから〜」とか考えてる間に結局、今週のお題から先週のお題へでおくれちゃったのだけど、せっかく久しぶりに書いたので今からでも更新してみる。

 

今週のお題「好きなお茶」

 

私は、ルイボスティが好き。烏龍茶も好きだし緑茶もほうじ茶も好きだけど、「好きなお茶」というフレーズを考えて思い浮かべる「お茶」は、ルイボスティ。朝一に飲むルイボスティ、仕事終わりの一杯に飲むルイボスティ、お風呂上がりに飲むルイボスティ。ホットよりアイスで飲むルイボスティ。キンキンに冷えたルイボスティを体に染み込ませる。その瞬間がたまらなく好き。冷蔵庫に入れてあるからすでに冷たいのに追加で氷も入れちゃう。それくらいが好き。体にはあまり良くなくてもグビグビ飲む。キンキンにしたルイボスティを。それが好き。たまらなく好きに思う。何がいいかっていうと、渋いんじゃなくて渋さはなくてほんのり甘いところがいいのです。コストコで4つセットのを買ってストックするくらい好き。

 

だけど思う。ルイボスティは、「いつも買っちゃうお気に入り」ではなくて、「ゆっくりいっぷく!」でもない。「在宅勤務のお供」でもない。それらを踏まえて考えるなら、やっぱりコーヒーかなあって思う。お茶っていうのかわからないけど。

 

ちなみに、ブレンディーのボトルコーヒー!緑の!無糖のやつが好き!

それと牛乳で作るカフェオレが、私にはなくてなはらない「ゆっくりいっぷく!」で、「在宅勤務のお供」で、「いつも買っちゃうお気に入り」。箱買いしてあるのが残り2本になったら買い足すくらいの好きなお茶。美味しいアイスカフェオレを飲むなら『ブレンディボトルコーヒーの緑ラベル』これ一択!!ほんとうにこれなくてはもう無理!ってくらい好き。ボトルコーヒーも缶コーヒーも苦手だったのに、お家時間が増えてからハマってる(缶はまだだけど)。

 

そろそろ寒くなり始めるし、自宅で楽しめる自分好みの美味しいホットコーヒー探してみようかな!コーヒーショップで選んでみたりしてみようかな!

 

なんていいかも。そう思う。そんな話。

 

「できなかったこと」と同じだけあるもの

 

20代で得た知見

「弁護士にはなれなかったけど、

 誰かを言葉で守り倒すことはできるんじゃないのか」

「翻訳家にはなれなかったけど、

 言いにくいことをいうことはできるんじゃないか」

「恋人にはなれなかったけど、

 最高の悪友になることはできるんじゃないか」

 


 

「なれなかった」ものは多い。

歌手になれなかった。あの人の1番になれなかった。友達になれなかった。思い描いた華やかな人生は手に入らなかった。みんなと同じように働いて生きていく事がなかなかできなかったし、嘘と一緒にしか生きていくことができなかった。思い返せば「できなかったこと」ばかりに占領されてきた人生だったかもしれない。勝手につくりあげた「できないこととそれ以外」の世界や、勝手に積み立ててきた「できなかったこととそれ以外」という小さな小さな世界の中で、幸せになろうと、楽しもうと、努力してきた。そうだった自分に「確かにそうかもしれない」と改めて思った。この(上の)文章を読んで。

 

だけど、こうも思った。

 

「できなかったこと」は「できること」に変換できるアイテムだったんだってこと。「〇〇できなかったこと」は全部、「〇〇はできなかったけれど、〇〇ならできるんじゃないのか」ってふうに変換できるってこと。そして、変換できさえすれば、変換する方法さえ知っていれば、「できること」が誰にだって見つかるってこと。こんな私にもコンプレックスと同じだけチャームポイントがあるってことがわかった。「私にできること」は、「私にできなかったこと」と同じだけ存在しているから。

 

私は、歌手になる事はできなかったけど、なれなかった人の世界を私は知っている。だからこそ伝えられることがあるんじゃないのか。共感することができる心があるんじゃないのか。歌を歌って生きていく事はできなかったけれど、歌を歌って表現したかったことをほかの方法でしていく事はできるんじゃないのか。その方法を伝えることはできるんじゃないのか。友達に囲まれて生きていく事はできなかったけれど、そうじゃなく在る事の楽しさを言葉にして肯定していくことならできるんじゃないのか。

 

「できなかったこと」は全部「〇〇ならできる」ということでもある。

 

私は思う。もしここに、今ここで、本気で向き合うことができれば、これまでの世界を少し変えていくことができるのかもしれない。これまでいた世界の殻を破っていけるかもしれない。今被さっているこの殻をぶち破ることができるかもしれない。もしここに、今ここで。本気で、向き合うことさえできれば、ほしい未来の方向へ、今じゃない未来の方向へ、勢いをつけていけるのではないか。

 

最近モヤモヤしています。何かが最悪になったわけではないけれど、何かが最高になったわけではない、この(私の)世界に。パッとしなさを感じている。なんだかつまらない。ありがたいことなのに。ありがたいことに今までで一番「いい」世界を過ごすことができているのに。いい環境で過ごさせてもらえているのに。なのに何故だかモヤモヤする。自分に都合「いい」 感覚が、毎日の「わるくない」感覚が、「よくもない」感覚が、なんだか心地わるくてパッとしない。なんだか毎日パッとしないのです。楽しくなくもなく、楽しくもない。その感覚は、これまで大好きだった「書くこと」にもあらわれていて、「読むこと」にもあわられている。それがすごくイヤです。

 

すごく幸せなはずなのに。

 

手放したくなっている。抜け出したくなっている。変わりたくなっている。

 

楽しく働いて、稼いで、美味しいものを食べて、好きなものを買って、たくさん寝て、最高に過ごせているはずのに。

 

だから、掘り下げてみようかと思っている。これからしたいこととか、これからのために変えていきたいこととか、するべきこととかを書くよりも。「できなかったこと」たちを書く。

 

数年間「ふつう」に働いて生きることもできなかったけれど、だからこそ、働くことの大変さを知っている。働く人のすごさを知ってる。「働かない」という言葉と「働けない」という言葉のちがいを私は知っている。「できない」という言葉の、本当の「できない」という意味を、私は感覚から知っている。これまでずっと細くはなれなかったけれど、どうしても細さにこだわってしまう世界を誰よりも知っている。「できる」と「できない」の意味、「やらない」と「やれない」の意味を感覚から知っている。世間の「ふつう」を追いかけることはできなそうだけれど、だからこそ「そうじゃないほう」の選択が上手になった。捉え方、考え方が、上手になったと思う。だからこそ、誰もが「ふつう」ではないのだってことを本気で頷ける。

 

もっともっとある。ここには書けないような、ここには書きれないような、できなかったこと、なれなかったもの、手に入らなかったもの。 

 

今だからヒットした文章。

 

今だからこそヒットした文章。

 

ありがたくて幸せなはずの現状にモヤモヤを感じている今の自分にヒットした、今いる世界が心地わるく思うことがある今の自分にヒットした文章。

 

20代で得た知見』という一冊の166ページにある文章。