私の世界のうちとそと

〜「好きな本から」を書きたくてはじめたけどいろいろ書いちゃってるブログです〜

去年の今日と今年の今日

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いつからだろう。なかなか本が読めなくなった。本を読み進める集中力がなくなってしまった。楽しくない。楽しく読めない。付箋を貼ったり、線をひいたり、「こんなことを書こう」と考えたりしながら読むことがなくなってしまった。だからといって、他に楽しいことがあるわけでもない。ただ何もしない日が増えた。なんだかよくわからなくなってしまった。

本当は前までのようにブログを書きたかったのだけれど、それにこだわってしまってか時間だけが過ぎていったので、“とにかく”書くことから始めてみようかと思う。

 

今年ももうあと1ヶ月をきった。この時期は「もう12月かあ」と考えるのが恒例だったけれど、この一年を振り返るとそこまで早くないゆっくりとした時間だったように思う。

 

結婚をした。家を出た。家族が増えそのためのイベントが増えた。命を授かった。だけど会えなかった。仕事をやめ、結婚式を挙げた。小さな小さ命を授かることができた。いつまで経っても不安は消えたりしないけれど、安定期もすぎ人生初めての“胎動”というものを感じられるようになってきた。ポコポコする。とっても可愛い。

 

妊娠がわかってからはとにかく安静にして過ごしてきた。学生時代、早く終わらないかと何度も時計を確認したように、「順調でありますように」と祈りながら何度もカレンダーを確認して過ごした。だからなのか短いようでとても長かった。

 

今、私は夫と住んでいる家の中にいる。去年の今日と今年の今日とでは想像もしなかった景色を見ていることを実感するたび不思議に思う。「まさか」で溢れている景色。本当に不思議。

 

まさかこの私が結婚するなんて。まさかこの私が妊娠を経験するなんて。まさかこんなにも流れるように実家をでて暮らしていくことになるなんて。まさか妊娠がこんなにも不安定で奇跡でしかないことだったなんて。

 

『まさか』ばかり。

 

去年の今日はまだ彼に会ったこともなかったのに。

 

人生分からないものだなあ。自分の人生の中にこんな経験が予定されてたなんて思いもしなかった。

 

幸せ。流れるように過ごしてたどり着いた今も。思った以上に幸せ。楽しい。

 

頑張ろう。

 

貝、食べなさい

 

最近、面白いドラマを見つけた。

『おいハンサム』というドラマだ。

 

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*会話の引用がありますのでネタバレが気になる方はここまででお願いします!

 

3話での話。長女の“ゆか”が不倫相手と決着をつけに行くシーンがある。そこでの自分を振り返り「(私)0点だったなあ」と沈みながら歩いているところ、胸騒ぎがして娘を探し回っていた父と遭遇するのだけれど。そこで言われる言葉がすごく面白かった。

 

「ゆか、貝、食べなさい」

 

こう言われる。

 

「ゆか、貝、買いなさい。仕事の合間にでも、自分のために、貝、買いなさい。一日、その貝と一緒にいて、仕事が終わったら、その命に、感謝して、食べなさい。分量は、そのお前の悩みの大きさに合わせるといい。お前の悩みが大きいなら、たくさん買って、たくさん食べなさい。」

 

「貝、食べなさい」

 

すごく面白いアドバイスだなあと思った。このドラマを見た、その流れで聞く、この言葉は、また深いなあ、と。笑えるのだけど、立ち止まってしまう、とても素敵なアドバイスだなあ、と。私もいつか親になれた時、こんな大人になりたいなあ、と、そう思った。

 

何かに悩んだ時、何かに立ち止まった時、どうにかして消し去りたい時。私もこうすればいいのだとここにきて気づいた。貝を買って持ち歩くことはできないけれど、休みの日にくらいできそうな気がする。買った貝が生きているのを側に置いて感じる。プクプクプク息をするのを感じる。そして、命に感謝して食べる。悩みの大きさ分の命。有り難く食べる。悩みを食べる。飲み込む。消化する。出す。

 

私もこうなりたいなあ。伊藤家、父のように。伊藤家、母のように。

 

自分を強く持って。ユーモアを持って。

 

何かをしたい気持ち

 

先週、月一で会ってる友達とご飯に行ってきた。

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この子とのランチ会は、毎回お腹がはち切れそうになる。話が盛り上がってという意味でもそうだけれど、ただ単純に“必ず食べすぎる”ことになるという意味でもそうだ。とにかくお互いに山のように食べる。結構な量のランチを食べた後に必ず、パフェかケーキを求めて2軒目に行く。こうした時間の使い方は、出会ったころからずっと変わってない。「たまには」と思って思いっきり贅沢をする。全然たまにはじゃなくたって(笑)それが心地よくて楽しい。

 

そんな友達と会った時、

"別に何も問題はないんだけれども"

という話が話題にあがった。

 

「最近さ、よくわからんのよね」から始まる。

 

「何かが不満ってわけじゃない。むしろ何も問題がないくらい充実してる。有難いことに足を運んで働けばお給料が貰えるし、しかもその職場が、仕事が、苦痛じゃないなんて恵まれてるなって思う。彼氏もできて幸せで、その他のプライベートも文句だって問題だってない。十分楽しい。十分足りてる。十分幸せ。やのに最近、何か足りん気がしてさ。仕方ないんよね」

 

そしたら、「わかる」って言われた。だから「わかるよね」って言った。

 

「これ!」って何かが、最近何もない。最近特にない。だからだと思う。

 

好きだった本も読んでない。好きだった書くこともしてない。手帳にも、SNSにも。ずっとハマってたものの全てが遠くなって、全ての熱中しかけてたものが遠くなってる。他に何かハマってるものがあるわけでもない。頑張ってたものや頑張ることがなくなって安心安全になった分、ただ流れてくる時間に無難に安全に過ごすだけになってるんだなって思った。それはそれで自分にとって必要なことだし、それはそれで手放したくないって思ってる。だけど、それもそろそろもういいかなと思いはじめてる。ちょっとぐらい動いてもいいのかなって。ちょっとぐらいとどまる自分から抜け出す努力をしてみたっていいのかなって。自分で自分に思ってきている。

 

私はやっぱりどうしても思うから。

何もできないかもしれないけれど何かをしたいって。何者かになんて大きなものは手にできないかもしれないけれど、「私は私」「これが私」って言えるようにはなりたいって。可もなく不可もなく流れていく生活も壊したくはないけれど、そこから抜け出して、何か「これ!」ってものを持って生きてくほうにいきたい。地に足ついてない甘い話だったとしても。どこかではずっと諦めたくない。

 

韓国料理をたらふく食べた後に、大きなパフェを頬張りながら、

 

「わかるわかる」

 

そう話した。

 

趣味でもいい。“まずは”いい。“まずは何だっていい”から、「これ!」って何かを持てるように動きたい。そろそろ。「これこれ!」「これかも!」「これ楽しい!」「これが好き!」「これなら!」「これこそ!」って何かが、何かしらが、いつか、欲しい。だから動きたい。そろそろ。

 

何度も何度も言っているし、馬鹿みたいだけれど、やっぱりそう思う。

 

頑張ってる人をみて、続けてる人をみて、楽しそうな人をみて。人をみて思うことにそれほど意味はないのだとしても、必死になりたい。何かに必死になりたい。

 

今からでも。

 

そう思ってることに改めて気づいた、最近の出来事。

 

お久しぶりの更新でした。

 

 

 

焦って不安になっても

 

7つ歳の離れた弟が今年成人する。もうそんなに経つんだなあと振り返るとゾッとする気持ちもあるけれど、今年成人を迎えられる方々に心から伝えたいです。

 

『成人おめでとうございます!こんなご時世で、大変なことはたくさんあったかも(あるかも)と思いますが、皆さんのこの先の人生が楽しく幸せで溢れ出しますように!

 

願っています。あっという間ですよ。20代って。

 

あっという間だ。20代って。本当に。

 

今月、私は27歳になる。思い返せばあっという間だった。あれやこれと大変なこともあったし、とても長かったように感じるけれど、数字を目の前にして振り返ってみるとあっという間だったなと思う。迷走しまくりだった20代前半。かなり辛かった。随分と楽にはなってきた20代後半。とても楽しい。はっきりと前半の迷走から抜け出せたわけではないけれど、流れにのっていくことや流れていくことを覚え出したことは大きな違いかなと思う。

 

『人生はうまくいくようになっている』

 

最近よく考える。この言葉のことや意味。人生って本当にこの言葉の通りなんじゃないかって。どんなにうまくいっていないように見えても、結果、ちゃんと、うまくいくようになっているのではないかって。そんな気がする。

大変なことはたくさんある。大変すぎて投げ出したくなることもある。乗り越えたってまた来る。楽しいと楽しくないの繰り返し。これでいいとこのままじゃよくないの繰り返し。それでも、トータルで俯瞰して、見たとき、「人生はうまくいくようになっている」という言葉がぴったり合っているような気がする。

 

20歳になってから「人生はうまくいくようになってるから大丈夫だよ」って何度も聞いた。

 

そうなのかなって思いながら、本心は本当かよって思ってたりもしてた。

 

本当だった。本当だったと、今、私は思う。

 

だから今度は私がここでいいたい。

 

苦しいこともあるかもしれないし、苦しすぎることも、もしかしたらあるかもしれない。よくわからないことで悩んで、よくわからないまま進んでいくことだってあるかもしれない。楽しそうな人を羨んで不安になったり、周りと比べて焦ったりすることも、もしかしたらあるし、どん底が一生続くように思う日もあるかもしれないけれど、そんな時に思い出してほしい。思い出せるようにしておいてほしい。思えなくても、思うようにしてみてほしい。思えなくても信じてみるようにしてみてほしい。

 

「人生はうまくいくようになっている」

 

きっとそうだから。

 

嘘だと思って。嘘だと思いながら。信じてみて。

 

最後に改めて、2022年、成人おめでとうございます!

 

 

 

生きてることが辛いなら

 

『生きていることが辛いのなら』という曲を、1週間に1度は聴く。

 


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森山直太朗さんの『生きてることが辛いなら』。いつかの歌謡祭で聴いたのがきっかけだったと思う。頭の中で歌詞をなぞりながら、「ああ」と思った。少し前まで似たことを考えてた自分のことを思い出した。

 

「分かる」

 

そう言ってしまう事は間違っているのかもしれない。だって、私はいまこうして生きていて、こうして楽しく生きているから。この曲を理解できるとか、この曲に共感できるだとかって、もしかしたら言っていいものではないのかもしれない。恥ずかしくて、痛い事なのかもしれない。今こうして幸せなら、乗り越えたなら、辛かったことを振り返るようにして聴くだなんて、ただ悲劇のヒロインぶっているだけのことなのかもしれない。不幸自慢になるのかもしれない。自分に酔っているだけなのかもしれない。

 

それでも、私は思う。もしあのとき、この曲をしっていたならって。もう少し早くぬけだせたのではないか、もう少し早く楽になれたのでないか。だからやっぱり、この曲のことはちょっとだけでも書いておきたい。

 

この曲の冒頭、

 

生きてることが辛いなら

いっそ小さく死ねばいい

恋人と親は悲しむが

3日と経てば元通り

 

が好きだ。私も同じことを思った。同じことを思ってこちら側にいる。

 

いっそ消えてしまいたい

 

そう考えながら電車が通り過ぎていくのを待つようになっていたとき、ある人が言った。「いろんな人に支えられてお金がなくても借金があっても楽しくどうにか生きていけてるけど、ついこないだ、この窓から飛び降りることばっかり考えてた」「それでもできんかった。こんなところから飛び降りたって死ねるかわからん。もし死んだとして、誰かが見つけてくれて救急車が来て。見せ物になる。誰かは一瞬、悲しんでくれるかもしれん。それでも自分の死んだ姿を眺めながら、親が泣いてるところみて、それで終わりって、それで満足なんか。『(死ぬって)こんなもんか』って思うんじゃないかって思ったんよ」。そう考えたらできなかった、と。去ることを選んで、離れた魂で、残された自分を眺めて、それで納得できるのか。それで楽になれるのか。私の考えてる“逃げたさ”ってそういうものなのか。

 

ちがうのではないか。

 

「ちがう」

 

そう思った時、やめようと思った。自分が楽になることを選ぶのを。自分を捨てて楽になろうとすることを。

 

 

夜に鳴くのは赤ん坊だけって決まりはないんだし

 

本当にそうだと思う。この世界の「こういうものだ」と思い込んでいるものごとのほとんどがそういうものだと思う。女が泣いたって男が泣いたって子供が泣いたって大人が泣いたっていい。一人で泣いたって、所構わず泣いたって、最終別にいい。狭く狭くしているのは、狭く狭くみているのは、私たち自身。

 

捨ててしまえばいい。捨てることを考えればいい。

 

この曲だって言ってる。

 

歴史は小さなブランコで

宇宙は小さな水飲み場

 

私の人生は歴史中の小さな小さなもので、私の人生は一瞬の小さな水飲み場のようなもの。

 

全部失敗でもいい。

全部バカみたいでもいい。

恥ずかしくても、恥ずかしくなくてもいい。

 

とっても素敵な曲だなあと思う。

 

視野が狭くなってきた時、救われる。

視野が狭くなってきた時、思い出させてくれる。

 

生きてることが辛いなら

くたばる喜びとっておけ

生きてることが辛いなら

 

くたばる喜びはとっておこう。

生きることが辛いと思えても。

 

 

「ちゃぴ・さくら・なーすけ」さん

特別お題「わたしの推し

 

最近、YouTubeでボディメイクを頑張ってる方のチャンネルを見るのにハマっている。何がきっかけだったのかは忘れたけれど「ちゃぴさんです。」という方のチャンネルを見つけたことがきっかけだった。パッと見て何か惹かれた。可愛いからとか、綺麗だから、とかってことも一つだったかもしれないけれど、発信がハッピーだと思った。見た目も、発信も、姿も、目も、言葉も。鍛えられた美ボディにポジティブな発信。毎日を楽しそうにうつす姿勢や面白いテンポのアテレコに編集(笑)。どう見ても年下なのに憧れちゃうような堂々とした目、姿。「かっこいいなあ」と思いながら見ていたら、その関連で「薬学生トレーニーsukura」さんや「なーすけfitness」さんというチャンネルに繋がった。たくさんのトレーニーチャンネルがある中で、私は今この三つのチャンネルにハマってみてる。これはもう『推し』だと思う。

 

それぞれ考え方があって、それぞれ目指すものがあって、それぞれの生活が違う。

 

全然ちがう人の全然違うチャンネルだけれど、この三人から受けとるエネルギーみたいなものは似ているなと思う。核があること。「私は私」「僕は僕」という核。それぞれが自分のチャンネルのちゃんと主人公であることが私は魅力的だなと思う。

こうなってみたいと思うけれど、そうなるには随分遠そうな姿。

 

憧れるなあ。

 

自分の体にストイックに向き合うってとても素敵なことだと思う。楽を選ぶことはできるもの。楽を選んだって健康で幸せに生きていけるもの。自分と向き合うってとても体力がいることだもの。それでも「もっともっと」を望む。それでも「もっともっと」をイメージする。「もっともっと」、「自分」を、手に入れようとしていく。

 

誰にでもできそうなことで、誰にでもできないこと。

 

誰にでもできることで、誰もが選ぶわけじゃないこと。

 

最近の私の推し

 

最近の私の推しユーチューバー

 


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確信はないけれど大事にしていること

 

去年買ってあった本を読んだ。

 

 

 

モヤモヤの残るデートが続いて、モヤモヤする日常が淡々と流れていくのを感じて、このままじゃよくないって本屋さんに寄った。なんとなくに立ち止まった占いコーナーだったけれど、二冊の本を直感のまま買った。パラパラと試しにめくった一瞬でざっくりとでも答えが見つけられるような気がしたから。

 

最近、外から受けることがある。それは、「望みのためにコントロールしすぎようとするな」ってことと「人生の主人公は自分でいけ」ってこと。『もっとわがままに、もっと大胆に。決めつけすぎず、行動せよ!』みたいな。先のことを考えすぎず、先のことは望みすぎず、今、どうしたいかを大切にしろ!みたいなのをよく目にする。耳にする。

 

結果ではなく今!頭ではなく心!心より行動!

 

と受ける。おみくじも、この本も、人からも。

 

そうだろうなと腑に落ちるからきっとそうなのだろうって思う。

 

こうした話って賛否あるものだって思う。私はどちらでもいいって思ってる。こうしたことを楽しむ姿勢も、こうしたことを楽しまない姿勢も。ちなみに私は「自分自身だけで楽しむのはあり」と考えてるタイプ。腑に落ちるって必要ってことだと思うから。こうしたことを、距離を持って楽しむコツは「必要と不必要のセンサーを大胆にとる」ってこと。怖がらせてくるような内容だったり、都合の悪いことは、置いていく。その日のうちに、その場所に。「わかりました、気をつけます」と小さく呟いて置いていく。それくらいでしかないけれど、私は大事にしている。

 

こうしたものたちとこうした考え方たちを。

 

自分に起こることって意味しかないと思うから。自分に起こることって鏡だって思うから。自分で、自分に、起きることは、大事だって思ってる。気づけるということは“そういう”ことだって思うから。腑に落ちるということは“そういうこと”だって思うから。

 

たかが占いだし、確信はないけれど。不確かで、自己満足でしかないけれど。一時的なものでずっと覚えていられるものではないけれど。

 

人は人。私は私。

 

だから私は信じている。私に起こること。私に起きてくること。私が起こすこと。

 

都合よく。

 

コントロールしすぎず、今に集中して、大胆に行動せよ!!2022!!